臨床化学分析における免疫学的測定法 |
(株)同仁化学研究所 溝口 誠
臨床検査は病気の診断や治療効果の判断に不可欠な手段である。この臨床検査の中で、人の体液や組織中の成分(酵素を含む)分析を臨床化学検査といい、診断のために行われる検査件数の大部分を占めている。
臨床化学検査には、測定対象成分の量を色素量や発色反応速度として検出定量する方法があり、この方法に用いる試薬を呈色試薬と呼んでいる。
呈色試薬のなかで、無機質分析には、比色分析試薬のキレート生成による呈色を測定するもの、例えば o -クレゾールフタレイン錯体によるカルシウムイオンの分析やバソフェナンスロリン、ニトロソPSAPによる血清鉄の測定がある。また、タンパク分析にはブロモクレゾールグリーン、ヒドロキシアゾ-2-安息香酸などの色素が用いられている。
また、酵素の特異的選択能を利用して血液等の多成分の混合物中から、特定の成分を認識して生じる過酸化水素やNADHを比色定量する方法がある。この方法は、反応が緩和で危険や有害性の試薬を使う必要がない事などから、臨床化学検査の自動化と共に、ここ十数年の間に急速に進歩発展してきたものである。この方法は酵素的測定法と呼ばれ、新トリンダー試薬やテトラゾリウム塩が比色定量試薬として用いられている1〜5)。
酵素的測定法を利用した臨床化学分析は、その簡便さから自動化され、大型自動分析機器によって一般検査として行われている。
一方、測定の対象となる生体成分の種類は増え続けており、より高感度の分析や、酵素では認識できない成分の分析に対する要求も高まってきている。新たにその分析が注目されている成分の一部とその測定基準濃度をTableに示す。
これらは、これまで酵素的測定法等により測定されてきた生体成分とは異なり、極端に濃度が低い事が特徴である。この場合、免疫学的測定法、つまり抗体を用いた分析法が用いられる。これは、抗原抗体反応を利用して、抗原となる対象成分を抗体で認識させ、その抗体の量を光学的に検出する方法である。
抗原を認識した微量の抗体を検出するためには、抗体自体を高感度に検出できる化合物で標識しておかなければならない。標識体として蛍光物質や金コロイド等を用いた場合は、抗体に直接それらの標識体を結合させてその蛍光量や吸光度を測定する。一抗体に標識できる標識体の量は限られており、分析対象が微量の場合、検出が困難である。また、放射性物質を標識体として用いるラジオイムノアッセイ(RIA)は、比較的高い感度が得られるが、被曝の恐れがある上、取り扱うには特別な施設が必要である。
そこで、これらの標識体の代わりに、ペルオキシダーゼ(POD)、アルカリフォスファターゼ(ALP)等の酵素を標識して、基質を加えてやれば、その酵素活性により継続的に反応し、酵素が失活するまで色素を生産し続けるので、一分子の標識体と比べると格段に高い感度を得る事ができる。
この方法はエンザイムイムノアッセイ(以下EIAと略す)と呼ばれ、抗原抗体反応を標識酵素の活性によって定量的に追跡し、抗原あるいは抗体を測定する方法の総称である。非放射性イムノアッセイ法の中では、最も感度の高い方法の一つとされている。
標識酵素としては入手のし易さ、感度の面からPODが全体の約50%を占めており、検出試薬として酸化発色試薬系が多く用いられる。
免疫的測定法の代表的な反応スキームをFig.1に示す。
酵素的測定法において生じた過酸化水素を測定する際は、過剰のPODの存在下、発生する過酸化水素によって色素を生じさせ、プラトーに達した時の吸光度を測定する。しかし、EIAにおいては、POD活性を利用しているため、過剰の過酸化水素の存在下で一定時間に生じる色素の量を測定する。つまり、EIAにおける測定対象は過酸化水素量ではなくPOD活性という事になる。したがって、一定量の過酸化水素で高い吸光度が得られるものより、少量のPODで一定時間により多くの色素を生じる物が、感度の高い呈色試薬といえる。
Fig.2にEIAで一般的に用いられているPOD発色基質を示す6, 7)。
これらの試薬は過酸化水素に対するモル吸光係数は余り高くないながらも、一定量のPODによる反応速度は高い。
Fig.2の中で最もよく使われている試薬はOPDである。しかしこの試薬は溶液状での試薬安定性があまりよくない上、脂溶性の一級ジアミンを持つため、その毒性が心配されている。それに代わるものとして毒性が少ないといわれている基質、3,3', 5,5'-テトラメチルベンジジン(TMBZ)も用いられている8)。TMBZは、酵素反応が進むにつれて、次第に安定な青色色素を生じ、酵素反応を停止させるために少量の酸を加えると、直ちにモル吸光係数の増加を伴って黄色の色素に変化する。
しかし、これらの試薬についても未だ次に示すような多くの問題点を含んでいる。
1)緩衝液への溶解性が低い。
EIAではマイクロプレート等を用い、多くの試料を一度に処理する必要がある。その場合、試薬溶液をある程度の期間保存しておかなければならず、試薬の溶解性が悪いと、その間に沈殿を起してしまう場合がある。
通常このような水溶性の低い試薬を用いる時は、試薬の沈殿などを防ぐため界面活性剤等を試薬溶液に添加するが、ピペット操作時に発泡するため操作性が悪くなる。また酵素反応に影響を及ぼす恐れもある。一方、有機溶媒などを添加する方法もあるが、廃液などの問題が生じてくるため好ましくない。
2)試薬の溶液安定性が低い。
試薬溶液のみの場合であっても、光や溶存酸素などの影響で発色してしまい、バックグラウンドが上昇してしまう。
3)色素安定性が低い。
酵素反応を終了させた後の色素の安定性が悪く、退色や沈殿を生じてしまう。したがって、一定の測定値を得るには、時間管理を厳格にしなければならない。
前述したように、EIAにおける比色測定は頻繁に行われているにもかかわらず、使用されている試薬の種類は少ないのが現状である。また、それらの試薬も前記のような問題を含んでいる。
これらの問題に対していくつかの方法が考えられるが、試薬に水溶性を持たせる事も一つの方法である。発色基質の水溶性を高める事によって操作性も向上し、体内への蓄積性も軽減されると考えられる。
ここでは新規の発色基質SAT誘導体を紹介する。それらの化合物はFig.3に示す様に、水溶性基としてヒドロキシアルキルスルホン酸基(SAT-3)、もしくはアルキルスルホン酸基(SAT-4, 5)を持っている。
これらSAT誘導体の溶液安定性、感度、溶解度を測定したところ、SAT-3が安定性、感度の面で最も優れていたので、以下SAT-3について説明する。
Fig.4にSAT-3の発色後の吸収スペクトルを示す。POD存在下、過酸化水素を1μM〜10μM加えると670 nm 付近に極大吸収を持つ青色色素を生じる。また、硫酸を加えて、酵素反応停止剤添加を再現すると、470 nmに極大吸収が移り、モル吸光係数も増大する。過酸化水素換算でのモル吸光係数は 674 nmで約7×104 M-1cm-1、474 nmで約12×104 M-1cm-1である。
硫酸添加によって感度の増加を伴った波長のシフトが起こるという挙動はTMBZ と同様で、同じ発色機構を持つものと思われる。
Fig.5にSAT-3とOPD、TMBZ の反応速度の比較を示す。この場合、各試薬の最適条件で発色反応を行っている。反応の時間変化をみるとSAT-3とOPDは直線的な上昇を示すのに対し、TMBZ は20分程度で反応速度が落ちていることがわかる。これは、TMBZ が POD を失活させているか、あるいは反応途中で沈殿を生じているためと予想される。
Fig.6にPOD活性に対する検量線を示す。その結果、SAT-3はOPD、TMBZに対し、約2倍の検出感度を示している事がわかる。この感度の差は反応速度の差を反映しているといえる。
前述した様にOPD等、従来の発色基質の溶液は保存しておくと、次第に着色してくるため用時調製が必要である。つまり、実験ごとに試薬の秤量、溶解などの操作を行なわなければならず、時間と労力を必要とする。よって、溶液状のまま保存できる試薬があれば、より簡便な実験が可能となる。
SAT-3溶液は、pH7付近の中性条件では空気酸化などの影響を受けず、遮光条件で半年以上安定であるので、液状化試薬としての利用が期待できる。しかし、このpHにおけるSAT-3の反応活性は低いので、高い感度を得るには、反応時に試薬溶液を活性の最も高いpH4付近に調整する事が好ましい。よって、高い感度を持ちつつ、安定性の高い液状化試薬を構築するには今後検討の余地が残されている。
免疫学的測定法は、以前は煩雑で時間もかかる上、抗体も手に入り難かったため、特別な分析にしか用いられていなかった。しかしながら最近では、EIA用の全自動汎用分析機器や、新規の検体固定化担体も開発され、非常に短時間に多くの分析が行えるようになってきた。また、緊急性、簡便性を重視した簡易分析の開発も行われている。
機器や試薬の発展に伴い、今後、免疫学的測定法を利用した臨床化学分析は、国内外において更に普及するものと思われる。また、測定項目もアレルギーやホルモンの検査など、疾病のマーカーだけにとどまらず増え続けていくものと思われる。
最近では、高感度の分析機器として蛍光、発光または電気化学発光の手法を使った大型の分析装置も開発されている。しかし、比色分析も光源が簡単で装置自体をコンパクトにできる事や、目視で判断できる等の利点を持っている。よって、比色法による高感度の検出が可能となれば、免疫学的測定法はより身近な分析法として普及していく事が期待できる。
新規発色基質SAT-3は、高い水溶性、安定性を有しているなど、従来の発色基質と異なった特性を持っている。これらの特性を活かす事によって、SAT-3を微量分析や簡易分析へ応用する事も可能である。
参考文献
1)K. Tamaoku, Y. Murao, K. Akiura, Y. Ohkura, Anal Chim. Acta., 136, 121(1982)
2)K. Tamaoku, K. Ueno, K. Akiura, Y. Ohkura, Chem. Pharm. Bull., 30, 2492(1982)
3)M. Mizoguchi, M. Shiga, K. Sasamoto, Chem. Pharm. Bull., 41, 620(1993)
4)M. Ishiyama, M. Shiga, K. Sasamoto, M. Mizoguchi, P. G. He, Chem. Pharm. Bull., 41, 1118(1993)
5)M. Ishiyama, K. Sasamoto, M. Shiga, Y. Ohkura, K. Ueno, Analyst (London), 120, 113(1995)
6)N. Majkic, I. Berkes, Clinica Chimica Acta, 80, 121(1977)
7)R. M. Jaffe, W. Zierdt, J. Lab. Clin. Med, 93, 879(1979)
8)V. R. Holland, B. C. Saunders, F. L. Rose, A. L. Walpole, Tetrahedron, 30, 3299(1974)
9)M. Mizoguchi, M. Ishiyama, M. Shiga, K. Sasamoto, Anal. Commun, 35, 179(1998)