(株)同仁化学研究所 大瀬戸 文夫
20世紀初頭、英国や米国などいくつかの国々で次亜塩素酸塩を 使用した上水の消毒が行われていたが、その後多くの地域にその 処理方法が普及し、いろいろな改良が進められ、現在では大規模 な上水道では液化塩素を用いた処理が行われている。しかしなが ら、少量の水の消毒には次亜塩素酸塩が使用されている。
塩素は水の消毒に使用するような低濃度ではそのほとんどが完 全に加水分解して次亜塩素酸(HClO)と塩酸を生成する。HClO は水中で解離して次亜塩素酸イオン(ClO-)となる。これらHClO やClO-などを遊離残留塩素という。水中にアミン類があると塩素 はそれらと反応してクロロアミン類を生成する。クロロアミン類 は結合残留塩素と呼ばれるが、遊離残留塩素より殺菌力は弱い。
水道法施行規則第16条第3号に「給水栓における水が遊離残留 塩素を0.1 mg/l(結合残留塩素の場合は0.4 mg/l)以上保持するよう塩素消毒すること。ただし供給する水が病原生物に著しく汚 染されるおそれがある場合、または病原生物に汚染されたことを 疑わせるような生物もしくは物質を多量に含むおそれがある場合 の給水栓における水の遊離残留塩素は0.2 mg/l(結合残留塩素の場合は1.5 mg/l)以上とする。」と規定されているが、そのため、常に水道中の塩素濃度を監視し、管理しておく必要がある。
水道中の残留塩素を測定する方法はいくつかあるが、操作の容 易さ、簡便性また感度の面から吸光光度法が最も頻繁に使用され ている。吸光光度法の一つ、o-tolidine(OT)法は安価でかつ操作 が簡便な検査方法として広く使用されてきたが、OTは発癌性が疑 われている物質であり、また労働安全衛生法などで特定化学物質 として規制され取り扱いに制限があることから、2000年12月に 「水道水質に関する基準の制定について」などの一部改正が勧告さ れ、OT法が平成14年度に公定法から削除されることになってい る。その方法に代わり、N,N-diethylphenylenediamine(DPD)法 の使用が推奨されてきており、実際米国でもこの方法が残留塩素 測定に採用されている。
DPD法も原理的にはOT法と同様試薬の残留塩素による酸化発 色反応を基本としており、発色後、溶液は桃色を呈する。DPDに は発癌性はないと言われているが、OTと同様脂溶性が高く、生体
への蓄積性や毒性の面で安全であるとは言い難い。また、感度や 試薬溶液の安定性に問題があると言われている。
我々はOTの誘導体で、水溶性を兼ね備えた化合物SAT-3を開
発しているが1)、その残留塩素測定への応用について検討を行い、
DPD法より測定に適した方法であることがわかったので報告する。
2)残留塩素濃度測定方法
SAT-3溶液(0.15 ml)を試料水(2.85
ml)に添加し、ただちに670 nm付近の吸光度を測定する。濃度既知の塩素溶液(実際に
は次亜塩素塩溶液)0.05 〜 3.0
ppmを調製し、同様にして発色させそれぞれの濃度における吸光度を塩素濃度に対してプロットし
た検量線を作成し、その検量線から実際の塩素濃度を算出する。
DPD法及びOT法については、上水試験法に基づき行った。
3)SAT-3の細胞毒性試験
例えばHeLa細胞などの培養細胞を、10 %のFBSを含むminimum essential medium (MEM)に懸濁し、1.2x104
cells/wellの割合で96穴マイクロプレートに播種し37℃で48時間前培養す る。培養液を除き、様々な濃度のSAT-3、DPDあるいはOTを加 えたMEM溶液を、それぞれのwellに添加し更に48時間培養す
る。その後、MEMで2回洗浄しCell Counting Kit-8 (CCK-8、同仁化学研究所製)を各wellに10μlづつ添加し37℃で1時間培
養後450 nmの吸光度をマイクロプレートリーダーにて測定する。
SAT-3の溶液には界面活性剤としてCHAPSOを、また金属の マスキング剤としてEDTAを添加している。DPD法の場合、Al、 CuあるいはFeが測定に影響することが知られているが、SAT-3 溶液の場合、EDTAを添加することにより、Al、Cu、Fe以外に もZn、Mn、MgあるいはCaなどが高濃度存在する場合でも測定 にほとんど影響しないことを確認している。
Fig.1にSAT-3、DPD及びOTを1 ppmの塩素を含む水に添加した時の吸収スペクトルを示す。SAT-3の吸光度はDPDに対 して約2倍、OTに対して約1.5倍大きく、また最大吸収波長も674 nmとOTのそれに対して約60 nmほど長く青色の色調変化も見やすいなどの利点がある。
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Fig.1 1ppmの塩素を含む溶液中のSAT-3、DPD及びOTの吸収スペクトル SAT-3及びOTの試薬終濃度は0.33 mmol/l、DPDについては1.52mmol/l |
DPDは試薬溶液の安定性が非常に悪く、測定に際し用時調製す る必要がある。それに対してSAT-3やOTの溶液安定性は高く長 時間放置しても発色はほとんど起こらない。一方、発色後の安定 性はOTが最も悪く、発色後ただちに退色する。しかしながら、 SAT-3は発色後も色素安定性が高く、数時間放置しても退色は見 られなかった。
Fig.2に塩素濃度を0.05 ppm から3.0 ppmに変化させた時のSAT-3の吸収スペクトル変化を示す。各塩素濃度におけるSAT- 3の674 nmにおける吸光度を塩素濃度に対してグラフにプロットすると相関係数が0.9998と良好な直線性を示すことがわかっ た。
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Fig.2 塩素濃度(0.05 ミ 3.0 ppm)中のSAT-3の吸収スペクトル
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SAT-3及び公定法で推奨されているDPD法を使用して熊本県 内の5箇所から採取した実試料中の残留塩素濃度を測定した。そ の結果をFig.3に示すが、SAT-3法とDPD法には高い相関性が あることがわかる(相関係数R=0.989)。
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Fig.3 SAT-3及びDPDを用いた実試料の測定 熊本市内各所から採集した試料:飲料水(A)、地下水(B)、水道水(C)、 井戸水(D)及びプール(E) |
次に、SAT-3の細胞毒性について調べた。HeLa細胞の培養液 に各種試薬を添加したあとの生細胞数を細胞増殖アッセイキット CCK-8にて求めた。その結果をFig.4に示す。DPDは最も細胞 毒性が高く、図から求めたLD50は37 ppm であった。OTはDPDよりも若干細胞毒性が低くそのLD 50は92 ppmとDPDの約2倍であった。それに対して、SAT-3のLD 50はDPDやOTより2桁大きく、4,800 ppmであり、10,000 ppmという高濃度域においても細胞の生存か可能であるなど、非常に毒性が低いことが分 かった。
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Fig.4 HeLa細胞を用いたSAT-3,DPD及びOTの細胞毒性試験
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DPDやOT自体、脂溶性であるために、細胞膜を容易に透過す るのに対して、SAT-3は水溶性が高く細胞膜を透過しにくいため にこのような効果があると思われる。
また、SAT-3を試験機関に送り、新AMES II
試験を用いた変異原性の有無を調査してもらったが、その結果、SAT-3には変異
原性がないことが確認された。
このように、SAT-3法はDPD法やOT法に比べ、i) 高感度、ii) 測定波長が長い、iii) 試薬溶液及び発色後の安定性が高い、iv) 細胞毒性が非常に低い、などの利点があり、残留塩素測定に適した 方法であることが分かった。
1) M. Mizoguchi, M. Ishiyama, M. Shiga, K. Sasamoto, Anal. Commun., 35, 179 (1998).