一酸化窒素(NO)の未知機能研究のための制御されたNOドナーの分子設計

(Structural Design and Synthesis of Nitric Oxide Donors Aimed to Controlled Release. Chemical Tools to Study and Utilize Unrevealed Biological Roles of Nitric Oxide.)

写真

大和田 智彦
(Tomohiko Ohwada)
東京大学大学院薬学系研究科
分子薬学専攻 薬化学教室

 

[ Summary ]

Although many recent studies have established that nitric oxide (NO) is an important bioregulatory molecule of the smallest size, in a range of physiological processes from vasodilation and platelet aggregation to neurotransmission and immune system, possible indirect intervention of endogenous and induced NO carriers, i.e., NO donors, is recently highlighted. Generally the physiological concentration of free NO is very low. In order to understand uncovered Janus-faced actions of NO, and reorganize complicated contribution of the isoforms of nitric oxide synthases (NOS), structural design and synthesis of novel NO donors, which can be qualified with controlled release of NO or NO equivalents in terms of the rate and place (i.e., targeting) are desired. Herein we review briefly the recent studies about the chemical features of potential NO donors, particularly of S-nitrosothiols and N-nitrosamines. The latter compounds can be considered as potential NO+ donors.

キーワード:
一酸化窒素,NOドナー,ニトロソニウムイオン,S-ニトロソチオール,N-ニトロソチオール, NO合成酵素(NOS)

 

1.一酸化窒素(NO)ドナー

 Furchgottらが、血管弛緩物質を血管内皮細胞が産生していることを発見して以来、1980年代に血管内皮細胞の機能の解明が進んだ1)。血管内皮細胞から産生される物質は、血管の弛緩だけではなく、血管壁を構成する血管平滑筋細胞の細胞増殖抑制や内皮細胞表面への血液成分の接着なども調整していることが分かった。そのような血管内皮細胞の司る血管内皮機能をになう物質の本体が一酸化窒素(NO)であることが解明されたことは記憶に新しい。

 NOは生体内のNO合成酵素(NOS)によってarginineから生合成される(Fig.12)。 NOSには内皮型(eNOS)、誘導型(iNOS)、 神経型(nNOS)の3種類のアイソフォームが存在しており、主に存在している場所が異なる(Fig.4参照)3)。すなわち内皮型NOS(eNOS)は前述のように血管内皮細胞に発現し、誘導型NOS(iNOS)は単球・マクロファージ・好中球などの炎症性細胞、nNOSは中枢神経系、特に小脳で発現している。産生される物質は同じNOだが、NOSの種類によりNO産生の部位が異なるためターゲットとする組織が異なり、またNOの産生量が異なる。一般に低濃度のNOは生体に有効な生理作用をもたらし、高濃度のNOは有害であるという濃度依存的な善玉・悪玉説が広く唱えられている4)

 現在このような理解のもとで、NOSのアイソフォーム選択的な活性化剤・阻害剤等が医薬品への展開の可能性を前提として開発されている5)。一方でNOSのアイソフォームの発現は生体内の環境変化によって誘導され得ること、またNOSの相互の連帯を司るNOキャリアーの存在が示唆されること(たとえばS-nitrosohemoglobinもその可能性がある)、またNOSがNO産生ではなく活性酸素などのNOと正反対の生理活性を有する活性酸素種(Reactive Oxygen Species, ROS)を生成する機構(アンカップリング)の存在も示されつつあり(Fig.1参照)、単純な善悪論では理解できないNOの科学が存在している6)

 ところで血漿中のNO濃度についての興味深い調査が行われ以下の結果が得られている7)。すなわちフリーのNOの血漿中の濃度は3.4±0.6 nM と極めて微量であり、血管平滑筋では同様に数nM オーダーのNO が恒常的に産生され血圧調節に寄与していると考えられている。血管内皮ではフリーのNO よりも後述するS-NO結合を有するシステインを含む低分子ペプチドや高分子蛋白質に由来するS-ニトロソチオール が7.19±5.73 μM、S-ニトロソ蛋白質 が6.92±5.45 μM と104倍多く存在する。S-ニトロソ体は生体中でS-N結合をホモリティクに開裂してNOを産生すると考えられているため、NO の貯蔵庫としてS-ニトロソ体が生体中で機能していると考えられている7)
 一方血液中に放出されたNOはヘモグロビンの鉄(Fe(II))の配位子として速やかにFe-NO結合を生じscavengeされるため8) 、 実際の血流中のNOの機能は不明と言って良い。これに対して近年、Stamlerらはヘモグロビンが酸素のみならずNOのトランスポーターであり血圧調整にS-ニトロソ化されたヘモグロビン(S-nitrosohemoglobin)が関与していることを提唱している(Stamler説)9)。すなわちヘモグロビンは2つのαサブユニットおよび2つのβサブユニットからなる4量体構造で各サブユニットがヘムを持ち、βサブユニットには反応性に富むシステイン残基のSH基(Cysβ93)がある。ヘモグロビンのheme鉄への酸素の結合が、ヘモグロビンの特定のシステイン(Cysβ93)のS-ニトロソ化を促進することがわかった。さらにヘモグロビンから酸素の脱離は末端組織の筋肉等で酸素分圧が低くなった際起きるが、それに伴うヘモグロビンの4量体構造の変化によってS-ニトロソヘモグロビンからNOを遊離する機構がある、というものである。解離したNOによって血管は拡張し血流を増やし、酸素が不足した末端組織に酸素吸着したヘモグロビンを運び酸素を供給する、すなわちS-ニトロソヘモグロビンは酸素分圧を感じるセンサー機能を有している事が提唱されている。なお、ヘモグロビンのシステイン(Cysβ93)のS-ニトロソ化がNO自身が起こすのかNO+様の分子種で起きるのかは明確ではない(S-ニトロソチオールの項参照)。一方ごく最近、Bohle, Jordanら 10) ならびにHouk, Stamler, Tooneら11) によってS-ニトロソチオールの結合性やコンホメーションが研究された。今まで化学的な関心が払われなかったのはむしろ不思議なくらいである。

 また、近年、高血圧に処方する降圧剤であるカルシウム・チャネル阻害薬(amlodipineなど)やACE阻害薬(生体内のアンジオテンシンIが血圧を上昇させる物質であるアンジオテンシンIIに変換される酵素反応を抑制する効果をもつ化合物群、enalaprilat, ramiprilやcaptoprilなど)によってNO産生の増加が報告されている(Fig.212)。NO産生の増加が降圧薬の血管保護作用や臓器保護作用の本体ではないかとも考えられる。近年S-nitrosocaptprilの構造解析が行われたのは興味深い(Fig.3参照)13)

 また、高脂血症に用いられるHMG-CoA還元酵素阻害薬であるstatin系薬剤(例えばcerivastatin)はphosphatidylinositol-3 kinase (PI3K)/Akt系を介するNOの遊離が示されている(Fig.2) 14) 。高脂血症は酸化低密度リポタンパク質(LDL)を産生し、血管内膜障害や単球の接着、遊走を引き起こす。動脈硬化の過程である。NO自身もしくはstatin由来の未知のNOドナーが血管内膜の保護に寄与している可能性が高い。

 最近、N-nitrosomelatoninの構造解析と生成の可能性が報告され脳内でのメラトニン(melatonin)がNOをscavangeする機能が推測され概日リズム(催眠)との関連がもたれる(Fig.3) 15)

 このようにNOの関与する生物活性は未だ未知なところがあり、また、NOの存在量による活性調整を、NO合成酵素であるNOSアイソフォームの発現部位特異性のみで制御できると言った単純な話ではないようである。

 一方、全てのNO関連の現象が一見NOそれ自身の機能と思われがちであるが、NOは生体内で極めて低濃度に維持されている。そのため生体内での一酸化窒素のキャリアー(NOドナー)の存在が提案されている(Fig.4)。タンパク質のシステイン残基が関与するS-ニトロソ化合物の他にN-ニトロソ化合物もNOドナーの可能性がある。また一酸化窒素のキャリアー自身が生体機能調節を行う可能性もあり得る。NOの生理的な濃度は小さいため、制御された放出(controlled release)を可能にするNOドナーの分子設計・合成は、NOの真の生理機能解明のtoolとして、また創薬化学のシード化合物としての可能性を秘めている16)。また血漿中のS-NO誘導体は能動的な制御を受けたNOの貯蔵庫である可能性もある。本ReviewsではNO機能解明に不可欠な制御されたNOドナーの研究の一端を紹介する。昨年Chemical Reviews誌に同様の特集が組まれたのでそちらも参考にしてほしい17)

2. NOドナーとしてのS-ニトロソチオール

 S-ニトロソチオールは比較的不安定で、市販されているS-ニトロソチオールはS-nitroso N-acetylpenicilamine (SNAP)(Fig.3)やS-nitrosoglutathione(GSNO)等が知られているのみである。S-nitroso cysteineは、血漿中のNOドナーである可能性がStamlerによって指摘されていることは既に述べた。さらに興味深いことに、S-nitrosothiolはthiolとNO自身との反応では生成せずに、NO+ (nitrosonium ion)との反応によってのみ生成することである(下式)18)

 


 一方NOは酸素が共存すると下式のように酸化され亜硝酸イオンが生成するため結果的にNO+ が生成する。NOが直接チオールをS-ニトロソ化しているのではなく、NO+(および等価体)である。


 Bohle, Jordanら10) およびHoukら11,15) の研究で、S-NO結合はかなり二重結合性を帯びている事が示唆された(Fig.5)。3級チオールのS-ニトロソ化合物である(CH3)3C-SNO 1Fig.5)の温度可変15N-NMRから算出した回転障壁 (rotational barrier) は10.7 kcal/molで、計算値 12.86 kcal/molと良い一致を示した。

 S-NO結合はホモリティックに開裂してS-ラジカルとNOになりNOドナーとなることが考えられていたが、Wang, ChengらによってRS-NOをはじめとする一連のNOドナーの結合解離エネルギー(Bond Dissociation Energies, BDE)の測定(熱量測定)と計算が行われた(Fig.619)S-nitroso-t-butylthiol 1およびS-nitrosobenzylthiol のヘテロリティック結合解離エネルギーは56~57 kcal/mol であるが、ホモリティック結合解離エネルギーは28 kcal/mol である。計算したホモリティック BDEの値と良い一致をした11)S-nitrosothiophenol 2の場合の結果をFig.7に示す。この結果はホモリティックなS-NO結合開裂が溶液中で優先することを示唆している。一方、結合解離エネルギーの大きさから熱的なホモリティックなS-NO結合の開裂は生理的な条件では重要ではないことが示唆された。

 一方S-nitrosocaptoprilの構造(Fig.3)の考察が行われていることはこのS-ニトロソ化合物が充分に安定であることを示唆しておりcaptoprilの薬理活性との関連で興味深く11)S-nitrosocaptopril自体が薬理活性の本体の可能性もある。もちろんNOドナーとしてNOの供与機能によって薬理活性を発現している可能性も充分あり得る。

3. NONOateの構造を持つNOドナー

 Keeferらの一連の研究によって市販に耐えるNOドナーとしてdiazoniumdiolate(NONOates)類の合成と応用が報告されている(Fig.820)。 NOとアミンを反応させると、アニオン性を帯びたdiazoniumdiolate塩が生成することが知られており、さらに水溶液にするとNOを発生する 21)。Keeferらはポリアミンとの付加物を用い、貯蔵可能な安定性を有する新規なNOドナーの開発を行い、NOの機能を対象とする薬理学や生化学研究に貢献している。NONOatesの問題点は、多くの化合物の半減期が短く分単位(2 min〜30 min)である点である。すなわち、序論で述べたように生体内のNO濃度は正常状態では濃度調節が行われ低濃度に維持されているが、これらのNOドナーは一過的に高濃度のNOを生体に作用させることになり、毒性やNOのartifactな生理活性を発現する可能性がある。そこでKeeferらはポリアミンの構造を変えることで半減期の延長を図った(Fig.8NOC18など)22)

 またdiazoniumdiolate基を適切なリンカーを介した活性エステル化合物3を合成し(Fig.9)、蛋白質の塩基性残基(例えばLysineのアミノ基)とのアミド結合生成により、NONOatesを蛋白質(例えばbovine serum albumin)に固定化することで、化合物1 mg当たり30-40 pmol/minの極めて微量に制御されたNOの放出速度を実現し、半減期を3週間に延長することを達成している23)。この際3のアセタール構造であるO-methoxymethylene基は生体内で加水分解され、diazoniumdiolate基を再生する。

 NOの放出時間の制御に加えてNOドナーに臓器特異性、すなわち組織へのターゲティングの試みもなされている24)。肝ミクロソームP450がビニルエーテルのビニル基のエポキシ化を触媒することに着目してNONOateの肝細胞選択的なprodrugの解除を期待した誘導体4が合成されている(Fig.10)。肝ミクロソームP450がビニルエーテルのビニル基をエポキシ化し、さらにエポキシド加水分解酵素が作用すると、結果的にビニル基はジヒドロ化されdiazoniumdiolate 5 が再生されNOドナーとなる。実際4はTNFα (Tumor Necrosis Factor α)誘導の肝細胞のアポトーシスを阻害した。NONOateのO-ビニル体は肝細胞選択的なNO作用発現の可能性を示した。

 NONOatesにベンジル基を結合し光照射によってNOの放出の制御するケージ分子のデザインが報告された(Fig.1125a, b)。化合物7はTsienらの化合物6の改良版であるが25c, d)、通常光切断に用いられる2-nitrobenzyl基よりもベンゼン環上メタ位に電子供与基がある方がFig.11に示したNONOate ラジカルの生成の経路が有利になると述べている。

4. N-ニトロソアミンの構造とN-NO結合開裂

 S-ニトロソ化合物の他にN-ニトロソ化合物もNOドナーとして機能する可能性がある。N-ニトロソアミンのN-NO結合がホモリティックに開裂すれば一酸化窒素(NO)を放出し、ヘテロリティックに開裂すればニトロソニウムカチオン(NO+)を放出する可能性がある(Fig.12)。すなわちN-ニトロソアミンはNOドナーまたはNO+ドナーとなりうる化合物群である。芳香族N-ニトロソアミン(Fig.14参照)やN-ニトロソウレア(Fig.13参照)ではN-N結合がホモリティックに開裂しNOを放出することが報告されている26)

 Wangらにより芳香族N-ニトロソウレア(Fig.13)の結合解離エネルギ−が熱力学サイクル(Fig.7参照)で実測されており、芳香族N-ニトロソウレアではホモリティック結合解離エネルギ−(約30 kcal/mol)はヘテロリティックな結合解離エネルギ−(約60 kcal/mol) よりも小さいと見積もられている27)

 芳香族N-ニトロソウレアは芳香族N-ニトロソアミンよりもN-NO結合が弱くNO放出能が高いが、脂肪族N-ニトロソウレアのN-NO結合開裂は見られない。筆者らは脂肪族N-ニトロソアミンである7-アザビシクロ[2.2.1]ヘプタンのN-ニトロソアミン誘導体(Fig.14)がN-NO結合開裂によるNO等価体(NO+)の徐放機能を明らかにしたので紹介する28)

 7-アザビシクロ[2.2.1]ヘプタンのN-ニトロソアミンは酸触媒のヘテロリティックなN-NO結合開裂を起こすNO+ドナーと現時点では考えている(Fig.15)28b)。 

5. Griess 法によるN-ニトロソ化合物のN-NO 結合開裂能の評価

 NOを検出する方法としてGriess法が知られている29)。 Griess法はNO をNO2- に空気酸化して酸性条件下生じるNO+をスルファニルアミドとのジアゾニウム塩化合物に変化させ、それとナフチルエチレンジアミンのジアゾカップリングによって生成する赤色色素(545 nm)を検出する方法である(Fig.16)。

 この方法ではNOは直接検出できないが操作が簡便であり、また確立された測定法としてよく用いられている。またGriess 法では当然NO+ そのものを検出できるため、NO とNO+ を同時に検出できる。すなわち赤色の発色はN-NO結合の開裂を意味する。合成したニトロソアミン化合物にGriess 法を適用し、N-NO 結合開裂能の評価を行った(Fig.17)。化合物の濃度を0.5 mM、 0.25 mM、 0.125 mM の3点に変え対照化合物として市販のNO ドナーであるNOC12NOC18Fig.8)、SNAPFig.3)を用いた。37℃で5時間後の吸光度(545 nm)と生成した色素量をグラフに示した。 Fig.17から明らかなように7-アザビシクロ[2.2.1]ヘプタン骨格を持つニトロソアミン(8-18)、芳香族ニトロソアミン(26,27)では呈色が見られるが 単環性脂肪族ニトロソアミン (19-25)では呈色はほとんど見られない。これはGriess 法の条件下で 8-18,26,27 はN-NO結合を開裂してNO またはNO+ を生成していることを示している。また、7-アザビシクロ[2.2.1]ヘプタン骨格を持つニトロソアミンの中にはNO またはNO+ 供与能が既存のNO ドナーであるNOC12NOC18SNAP と同等もしくは凌ぐもの (例えば 9) があることがわかった。

 Griess法によるN-NO結合開裂の検出の経時変化を調査した。Griess法の利点の1つにNO / NO+ を安定な化合物 (色素) に変換する点があるため、発色を経時的に観察することが可能である。Griess法は古典的な方法であり検出感度は低いが、この点は蛍光色素法にない利点である30)
 6時間までは1時間毎に測定した。10時間後および24時間後を測定した。既存のNO ドナー(NOC12NOC18)は瞬間的にNO の放出があるのに比べて7-アザビシクロ[2.2.1]ヘプタン骨格を持つニトロソアミン8-18 では26と同様に徐々に放出されている。除放性のNOドナー分子は、恒常的に低濃度産生され作用を発揮するNOの本当の生理活性を調査するための有用な研究手段を提供する可能性があり、その開発は意義をもつ。
 Griess 法ではGriess 試薬にリン酸が含まれるためpH4.0と酸性に傾いている。蒸留水の代わりにリン酸緩衝液 (PBS、 pH7.4、 0.25M) を用いるとサンプル溶液のpH は5.5になる。pH5.5 で同様にGriess 法を行うと、NOC12NOC18SNAP では呈色の度合いはpH4.0 に比較して程度は小さいが呈色するのに対して、7-アザビシクロ[2.2.1]ヘプタン骨格を持つニトロソアミン 9、芳香族ニトロソアミン 26 ともにNO またはNO+ の放出による呈色はほとんど見られなかった。

 このことから7-アザビシクロ[2.2.1]ヘプタン骨格を持つニトロソアミン、芳香族ニトロソアミンともにN-NO 結合開裂能、すなわちNO またはNO+ の放出はpH 依存性があり、ある程度pH が低くなければならないことが示唆された。

6. ESR によるN-NO結合開裂によって生成するNO の検出

 N-NO結合開裂によって生成する窒素化学種の検出をCarboxy-PTIOを用いるESR測定によって行った。Carboxy-PTIOは水溶性の安定な有機ラジカルで、Fig.18のようにNOと反応してCarboxy-PTI となる。Carboxy-PTIはNOとは反応しない。
 Carboxy-PTIO とCarboxy-PTI はともに有機ラジカルなのでESRによって特有のシグナルとして検出することが可能である。前田らはこれをNO の選択的消去剤として利用しているが31)、Carboxy-PTIO がNO+ などと反応せずNO のみを検出できることからN- ニトロソ化合物のN-NO 結合開裂において生成する化学種としてNO が含まれているかを調査するためにCarboxy-PTIO 共存下でのESR スペクトルの測定を行った。
 Carboxy- PTIO とNO ドナーの標品としてNOC12 を用いて中性条件 (pH7.4) でESR スペクトルにおけるCarboxy-PTIO からCarboxy-PTIへのシグナル変化を確認した(Fig. 18a)。
 同様にしてニトロソアミン9についてCarboxy-PTIO 共存下でのESR シグナルの変化の測定を行ったが、Carboxy-PTIOに対して10等量のニトロソアミンを用いているにも関わらず中性条件 (pH7.4) では12時間後においても全くCarboxy-PTIOの減少が見られずNOは検出できなかった。pH を下げて酸性 (pH3.8) にしたところ7-アザビシクロ[2.2.1]ヘプタン 骨格を持つN- ニトロソアミン9NOC12 と比較して遅いものの、Carboxy-PTIOのシグナルの消失が観測された(Fig. 18d)。 Carboxy-PTIO は酸性条件でも比較的安定であり、Carboxy-PTIO をpH3.8のPBS に加えて22℃で24時間放置しても余り変化はない(Fig. 18b)。しかしラジカルトラップ後に生成するCarboxy-PTIは酸性条件で非常に不安定であり、生成してもすぐに壊れてしまうため検出できない。Fig. 18cはpH3.8でのNOC12 との反応の5分後のESRスペクトルを示している。ニトロソアミン9はpH3.8の条件下Carboxy-PTIOのシグナルが減少していることから、このスペクトル変化はニトロソアミン9からNOがゆっくり生成しCarboxy-PTIOが消費されCarboxy-PTIが生成したものと解釈するのが妥当である。なぜならGriess 法では9は6時間後には60% 以上の分解率でN-NO 結合開裂が起こっているのに対してCarboxy-PTIOを用いたESRスペクトルの検出では6時間でもあまりESR スペクトルに変化が見られない(Fig. 18d)からである。すなわち、ニトロソアミン9は少なくとも一部はN-NO結合をホモリティックに開裂しNO を生成していると考えられる。

 N-ニトロソアミンのpKBH+ は決定されていないが、酸性中N-プロトン化ではなくO-プロトン化を起こすことが知られている32)。 以上のことから7-アザビシクロ[2.2.1]ヘプタン 骨格を持つN-ニトロソアミン9 はわずかにN-NO 結合のホモリティックな切断を起こしNO を生成するが、Griess 法条件に対応する酸性条件では大部分がヘテロリティックな切断でNO+ を生成していると推定できる(Fig.15)。

7.まとめ

 ある構造を持ったN-ニトロソアミン(ただしNO+ドナー)は既存のNOドナーに比べて徐放的であることが示唆された。実際NO+ドナーの生体内での機能は未知であるが、持続性の高い血圧降下作用が期待される。一方S-ニトロソチオールのNO生成の反応機構も明解ではない。S-ニトロソチオール構造を経由するNO(もしくはその等価体)の制御された放出(controlled release)を可能にする分子の分子設計は構造有機化学の理解なくしては実現しない。さらにNOやNO+の還元体であるHNO (nitrosyl)(あるいはNO-)の機能も注目されている33)
 また序論で述べたようにNOの生体内での機能は想像以上に混沌としている。生体内物質もしくは医薬品などの外来物質に含まれるヘテロ原子に対するニトロソ化は、リン酸化に匹敵する、あるいはより特異性の高い情報伝達の鍵となる制御反応である可能性もあり新しい機能性NO(またはNO+)ドナーの設計と合成は挑戦的な研究課題である。


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著者紹介
氏  名 大和田 智彦(Tomohiko Ohwada)
所  属 東京大学大学院薬学系研究科分子薬学専攻 薬化学教室
出身校 東京大学薬学部薬学科卒業(昭和57年卒)
学  位 薬学博士
専  門 医薬化学,有機反応化学,計算化学,有機合成化学
研究テーマ 芳香族化合物の官能基化反応の開発
特徴ある生物活性物質の創製
主な著書等 トップ・ドラッグ(化学同人)(共訳,2003年)
連絡先 〒113-0033
東京都文京区本郷7-3-1(勤務先)
E-mail:ohwada@mol.f.u-tokyo.ac.jp


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