「希土類蛍光錯体の生体成分分析への応用」

Application of fluorescent lanthanide chelate for bioassay

顔写真 松本 和子
(Kazuko Matsumoto)
早稲田大学 理工学部 化学科

 

[ Summary ]

 Fluorescent lanthanide chelate complexes are known to emit strong fluorescence with very distinct physical properties that are different from those of organic fluorescent compounds: the fluorescence of lanthanide chelates is long-lived with the decay-time of several hundreds microseconds to 2 ms. The fluorescent lanthanide chelates have been successfully developed as fluorescent labels for highly sensitive time-resolved fluoroimmunoassay, DNA hybridization and other bioasssays. In this article, applications of the fluorescence lanthanide chelates for bioassay are introduced.

キーワード:希土類蛍光錯体、ラベル剤、時間分解蛍光測定法、蛍光分析、生体成分分析イムノアッセイ

1.はじめに

 1942年、Weissmanによって、Eu(V)- β -ジケトナト錯体が紫外光を吸収し、可視光を発することが発見1)されて以来、希土類蛍光錯体は、様々な分野で研究、開発がなされてきた。本稿では、希土類蛍光錯体の計測への応用について解説する。

2.希土類元素の特徴とその蛍光性錯体について

 希土類元素はランタン(La)からルテチウム(Lu)までの4f電子が詰まっていく過程の15元素をいい、その電子構造は、4f0-155d0-10s1-2で表される。これらの元素の価電子は4f電子であるが、この軌道はそれより主量子数の大きい5s、5p、5d、6s軌道より内側にあり、他の元素のように価電子が物理的な最外殻電子でないという特徴を持つ。4f電子が他の外側の電子により環境から遮蔽されているため、周囲の環境の影響を受けにくく、希土類元素相互の性質はよく似ている。このような電子構造と多数の不対電子を持つという特徴によって、カラーテレビの蛍光体、永久磁石、レーザー発光体などに広く応用されている。また、医療の分野では、Gd(V)のキレート錯体がMRI(magnetic resonance imaging)の造影剤として用いられている。蛍光性の希土類錯体の用途は、蛍光標識剤として用い、種々の物質の測定に用いることである。希土類蛍光性錯体を蛍光特性から分類すると、3つのループに大別される。強蛍光性グループ(Sm3+、Eu3+、Tb3+、Dy3+の錯体)は、中心金属のイオンの励起エネルギー準位は、配位子の励起三重項(T1)準位より少し低い位置にあり、T1からのエネルギー移動を受けることができる。また、これらのイオンでは、励起準位と基底準位のエネルギー差が大きいため、非放射遷移が起こりにくく、蛍光の量子収量が高い。弱蛍光性グループ(Ce3+、Pr3+、Nd3+、Pm3+、Er3+、Tm3+、Yb3+の錯体)では、中心金属イオンは励起準位と基底準位の差がかなり小さいため、非放射遷移の割合が大きく、蛍光の量子収率は低い。Nd3+、Er3+、Yb3+に関しては、近赤外領域に発光を持つ錯体が報告されている。

 通常、Sm3+、Eu3+、Tb3+およびDy3+の水溶液は、普通の蛍光光度計では検出できないほどの弱い蛍光しか発しない。これらのイオンは、適当な配位子と錯体を形成すると、近紫外領域の光を吸収して、励起され、非常に強い蛍光を発するようになる。これは、錯体が配位子から中心金属イオンへのエネルギー移動に基づいた蛍光発光を示すためである。La3+、Gd3+、Lu3+の錯体は蛍光を発しない(非蛍光グループ)。

 励起と発光は、次のような過程で起こる。まず配位子が紫外光により励起され励起状態(S1)となる。次に項間交差により三重項状態のT1にエネルギーが移動し、そこからユウロピウムイオンの励起状態(5D)にエネルギー移動が起こる。そして金属の励起状態から基底状態(7F)に戻る時に蛍光を発する。このとき、希土類イオンに配位している β -ジケトン等の配位子が、溶媒分子等へのエネルギーの移動による失活過程を抑制し、強い蛍光発光が得られる。したがって、強い蛍光を持つ錯体を得るための配位子としては、その吸光度が高く、励起三重項状態のエネルギーレベルが希土類イオンの最低励起エネルギーレベル5D準位より高く、エネルギー移動が効率よく起こることが必要となる。さらに、配位子の励起一重項状態から三重項状態への項間交差の効率も錯体の蛍光強度に大きな影響を与える。例えば、Table1に示した β -ジケトン型配位子では、配位子の吸収極大波長の変化に関わらず、ユウロピウムの蛍光は常に約615nmに観測される。しかし、吸収極大波長がある一定の値を超えると、その錯体は全く蛍光を発しなくなる。吸収極大波長は、励起一重項のエネルギーレベルに関係し、励起三重項のエネルギーレベルを直接的に表す値ではないが、一定の相関性が存在するため、この傾向は励起三重項状態のエネルギーレベルが希土類イオンの最低励起エネルギーレベル5D準位へ遷移するのに十分高くなくなり、エネルギー移動が起こらなくなったためと説明される。

 希土類蛍光錯体の特徴を理解するために、従来の蛍光検出法で使用される有機蛍光色素と比較してみる。Table2によく使用される蛍光物質の蛍光特性を、Fig.1に構造を示した。普通の有機蛍光色素化合物、例えば、フルオレセインやローダミンBと比べユウロピウム錯体の蛍光は以下の4つの特徴を持つ。

1.発光波長が配位子の構造にほとんど影響を受けない。

 先に述べたように、希土類錯体は配位子の吸収により励起され、錯体内でのエネルギー移動により中心金属にエネルギーが移動し希土類イオンの励起状態から基底状態に戻る時に蛍光を発する。ユウロピウム錯体の場合、4f→4f遷移に基づく蛍光を発する(ほとんどの場合5D07F2 放射(約615nm)が一番強い)。すなわち励起と発光が錯体の異なる部分によって行われているため、希土類蛍光錯体は、配位子の分光学的性質に依存した励起スペクトルと、配位子には依存せず、中心金属イオンにのみ依存した発光スペクトルを示す。例えばユウロピウム錯体であれば、強度比に変化はあるものの常にユウロピウムイオンに特徴的な蛍光スペクトルを示す。

2.蛍光寿命が長い。

 ユウロピウム錯体は配位子の励起三重項T1からのエネルギーが移動した後、蛍光を発する。このような過程は有機蛍光色素の発 光に比べ、遅い過程を含んでおり、希土類蛍光錯体は長い蛍光寿命を持つ。希土類イオンの4f軌道が5sや6p軌道により大きく遮蔽されており、本質的に禁制遷移であることも寿命が長い理由で あろう。有機蛍光色素の蛍光寿命は通常ナノ秒レベルであるが、希土類蛍光錯体、特にユウロピウムとテルビウム錯体の蛍光寿命は数百マイクロ秒以上である。Table2に示すようにユウロピウム蛍光錯体は普通の有機蛍光色素と比べて、105倍もの長い蛍光寿命を持つ。この特徴を利用して時間分解蛍光測定法が開発されているが詳細については次項に述べる。

3.大きなストークスシフト(Stokes shift)を有する。

 有機蛍光色素の励起スペクトルと発光スペクトルは一部重なっており、通常鏡面対称のような関係にある。また、励起極大波長と発光極大波長の差(ストークスシフト)は、数十nmで、励起、発光スペクトル間には大きな重なりがあるのが一般的である。一方、希土類蛍光錯体では、配位子が励起光により励起され、エネルギー移動ののち希土類金属イオンの励起状態から基底状態への遷移に伴って発光するため、ストークスシフトが非常に大きく250nm以上であるのが普通である。このため、有機蛍光色素に見られるような濃度消光(自己消光)をほとんど受けず、さらに蛍光測定をする際に励起光に由来する散乱光の影響を受けにくい という利点がある(Fig.2)。

4.発光ピークがシャープである。

 蛍光発光エネルギーが非常に狭い波長領域に集中し、発光ピークの半値幅が約10-20nmである。例えば、約615nmにおけるユウロピウムの蛍光スペクトルは非常にシャープであり、蛍光放射のエネルギーがほとんど615±10nmの波長範囲に集中している。このようなシャープなピークを持つことは、蛍光量子収率が低くても、特定波長での発光強度はブロードな発光スペクトルを持つ有機蛍光色素に比べて大きくなり、より検出しやすいという利点になる(Fig.2)。

3.希土類蛍光錯体を生化学的分析に応用する利点

3−1 時間分解蛍光測定法

 生体成分の分析においては従来、放射性同位体や酵素、蛍光化合物、化学発光化合物など様々なプローブ(標識剤を含む)が用いられていた。特に、蛍光プローブはその取り扱いの容易さと高感度の検出能のために、遺伝子の塩基配列解析やDNAマイクロアレイでの発現解析などに使われ、大きな役割を果たしている。蛍光プローブを用いる方法は放射能の問題が無く、取り扱いが容易であること、種類が豊富で応用できる範囲が広いこと、検出が簡単で感度が高いこと等の利点がある。従来、蛍光プローブとしてはフルオレセインやローダミンなどの有機蛍光色素が使われてきた。しかし、有機蛍光ラベル剤を用いるバイオアッセイでは、サンプル中に存在する他の共存物質の蛍光と励起光の散乱などに由来するバックグラウンド蛍光の影響がラベル剤からの蛍光シグナルの検出を大きく阻害し、高感度の測定を困難にするという欠点があった。

 有機化合物の蛍光とは異なり、希土類蛍光錯体の蛍光は前項で 述べたように、(1)蛍光寿命が長い、(2)ストークスシフトが大 きい、(3)発光ピークがシャープであるなどの特徴をもっている。 希土類蛍光錯体を用いた蛍光測定では、通常の蛍光測定法とは異 なり、時間分解蛍光測定法が用いられる。時間分解蛍光測定法と は、物質の蛍光寿命の差を利用し、長寿命蛍光を発する目的化合物を選択的に検出する方法である。Fig.3に希土類蛍光錯体を用いた時間分解蛍光測定の原理を示す。励起光をパルスで照射す と、目的化合物のみならず、共存する不純物や容器材質も励起さ れ発光する。この時点では、励起光の散乱光なども検出される。し かし、共存する不純物や容器材質からの蛍光は蛍光寿命が短いの で、非常に速やかに減衰する。一方希土類蛍光錯体は数百マイク ロ秒以上の蛍光寿命を持つので、不純物などからのバックグラウ ンド蛍光が十分に減衰した後に蛍光を測定することにより目的化 合物からの蛍光を感度よく検出できる。つまり、希土類蛍光錯体 を用いる時間分解蛍光測定法は希土類錯体の蛍光特性を生かして、 蛍光ラベル剤とバックグラウンド蛍光の蛍光寿命の差を巧みに利 用し、サンプル中の不純物や測定器具などからのバックグラウン ド蛍光を効果的になくすとともに、プローブから発した長寿命蛍 光のみを選択的に検出することができ、従来法にない高感度や高 精度の測定が達成されている。

 このような、希土類蛍光錯体の蛍光特性に基づいて、1980年代 以来、希土類蛍光錯体をプローブとし、時間分解蛍光測定を用い た時間分解蛍光イムノアッセイ、DNAハイブリダイゼーション アッセイ、細胞活性アッセイ、蛍光バイオイメージング、HPLC などの生体関連物質の測定法が次々に開発され、その応用範囲は ますます広くなっている。本稿ではイムノアッセイを例にとり、希 土類蛍光錯体の分析への応用について述べる。

3−2 希土類錯体プローブを用いた生体成分の測定

 バイオアッセイにおいて、放射性アイソトープや酵素、蛍光化 合物、化学発光化合物など様々なプローブ(ラベル剤を含む)が 汎用されている。特に、蛍光プローブは、その検出の便利さと高 感度のために、ヒトゲノムプロジェクトやバイオチップなどに使 われ、大きな役割を果たしている。蛍光プローブを用いる方法は、 放射能の問題がなく、取り扱いが容易であること、種類が豊富で、 応用できる範囲が広いこと、検出が簡単で、感度が高いこと、な どの利点がある。従来、蛍光プローブとしてはフルオレセインや ローダミンなどの有機蛍光化合物がよく使われている。しかし、有 機蛍光ラベル剤を用いるバイオアッセイでは、サンプル中に存在 する他の共存物質の蛍光と励起光の散乱光などに由来するバック グラウンドノイズの影響が蛍光検出を大きく妨害し、高感度の測 定が困難であるという欠点がある。このような有機蛍光標識剤の 問題点を解決する手段という観点を含め、希土類蛍光錯体の生体 成分分析への応用について述べる。なお、参考文献掲載数の制限 上、個々の事例について出典を掲載しなかったものもある。これ らについては、総説を参照されたい2-10)

3−3 Dissociation Enhanced Lanthanide Fluoroimmunoassay (DELFIA法)

 この方法は、N1-(p-イソチオシアナトベンジル)-エチレンジアミン四酢酸のEu 3+錯体(SCN-Ph-EDTA-Eu3+)、あるいは N1-(p-イソチオシアナトベンジル)-ジエチレントリアミン-N1,N2,N3,N3-四酢酸のEu 3+錯体(SCN-Ph-DTTA-Eu3+)をラベル剤として用い、Fig.4に示す原理で分析を行なうものである。この方法では、まずユウロピウム錯体標識タンパク質(抗体あるいは抗原)を調製する。この標識タンパク質を用いて免疫反応を行った後、未反応の試薬と免疫複合体を分離する(B/F分離)。得られた免疫複合体に β-ジケトン(殆どの場合、2-ナフトイルトリフルオロアセトン β-NTA)を使う。 トリオクチルホスフィンオキシド(TOPO)と界面活性剤トリトンX-100を含む弱酸性の蛍光増強 溶液(ミセル溶液、pH = 3.2)を加え、免疫複合体にあるユウロピウムラベル剤からEu 3+イオンを溶液中の配位子と結合させ、強い蛍光性をもつ錯体Eu( β-NTA)3(TOPO)2のミセル溶液に変換 し、その溶液を時間分解蛍光測定する。

 本法では、ラベル剤SCN-Ph-EDTA-Eu 3+或いはSCN-Ph-DTTA-Eu3+自体は非蛍光性錯体であり、ラベル剤のユウロピウム を蛍光性で高感度検出可能な蛍光錯体Eu( β-NTA)3(TOPO)2(10-14 Mレベルの検出限界)となし、その蛍光を計測するものである。し かし、蛍光測定に、β-NTA-TOPO-トリトンX-100を含むいわゆる蛍光増強溶液を加える必要がある。この蛍光増強溶液には大過 剰の配位子(β-NTAとTOPO)があるため、系外からEu3+が入 ると強いバックグラウンド蛍光を発することが考えられる。従っ て、この方法はユウロピウムの汚染を非常に受けやすい欠点があ る。

3−4 時間分解蛍光イムノアッセイ法

 本法は、まず希土類錯体標識タンパク質(抗体あるいは抗原)を調製する。この標識タンパク質を用いて免疫反応を行い、未反応の試薬と免疫複合体を分離した後、そのまま固相での時間分解蛍光測定を行うというものである。その1つは、FIAgen時間分解蛍光イムノアッセイ法として知られているもので、蛍光性ユウロピウム錯体4,7-ビス(クロロスルホフェニル)-1,10-フェナントロリン-2,9-ジカルボン酸のEu3+錯体(BCPDA-Eu3+)を標識剤として用いる方法である。DELFIA法と比べると、FIAgen時間分解蛍光イムノアッセイ法の利点は、蛍光増強溶液を使用する必要がなく、緩衝溶液や測定環境によるユウロピウム汚染の問題がないことである。なお、この方法に用いる標識剤BCPDA-Eu3+の蛍光は弱いため(10-11Mの検出限界)、感度が低いことが欠点である。

 次に、本研究室で開発した配位子、クロロスルホニル化4座β-ジケトン化合物4,4'-ビス(1",1",1",2",2",3",3"-ヘプタフルオロ-4",6"-ヘキサンジオン-6"-イル)クロロスルホ-o-テルフェニル(BHHCT、Fig.5)での例を紹介する。この化合物は、クロロスルホニル基を通じて、アミノ基をもつタンパク質と反応し、スルホンアミド結合(-SO2-NH-)を生成することによりタンパク質を標識する。標識したタンパク質溶液に適量のEuCl3を加えると、速やかにBHHCT-Eu3+蛍光標識タンパク質になる。近年、BHHCT-Eu3+をラベル剤とした高感度時間分解蛍光イムノアッセイ法が次々と開発され、様々な物質の測定に応用されている。これらの測定においては、主にBHHCT-Eu3+標識ストレプトアビジン(SA)やSA-BSA(ウシ血清アルブミン)結合体、抗体、ハプテン-BSA結合体などが用いられている。BHHCT-Eu3+は非常に強い蛍光と長い蛍光寿命をもつため、このラベル剤を用いた時間分解蛍光イムノアッセイでは、蛍光増強溶液を使用する必要がなく、反応が終わった後、そのまま固相時間分解蛍光測定を行うことができる。

 非競合(サンドイッチ)時間分解蛍光イムノアッセイにおける ラベル剤BHHCT-Eu3+の応用例としては、ヒト血清中のAFP、IgE、甲状腺刺激ホルモン(TSH)、ストロマ細胞由来因子-1(SDF-1)、サイトカイン類タンパク質(インタロイキン-1α、tumor necrosis factor αとインタフェロンγ)などが測定され、競合時間分解蛍光イムノアッセイにおけるラベル剤BHHCT-Eu3+の応用例としては、ヒト尿と毛髪中の覚醒剤メタンフェタミン、ヒト血清中のp21タンパク、環境水中の農薬ベンスルフロン-メチルとエストラジオール及びエストリオールなどの測定例がある5,10)

3−5 酵素増幅時間分解蛍光イムノアッセイ法

 錯体EDTA-Tb3+は非蛍光性錯体であるが、サリチル酸誘導体とさらに三元錯体を生成すると、Tb3+の特徴的な長寿命蛍光を発することができる。この反応を利用して、酵素アルカリホスファターゼ(ALP)をラベル剤とし、5-フルオロサリチル酸のリン酸エステルを基質とした酵素増幅時間分解蛍光イムノアッセイ法が開発されている11)Fig.6に示すように、ALPで標識した抗体を用いて免疫反応を行った後、5-フルオロサリチル酸リン酸エステルの水溶液(pH =9-10)を加える。ALPの触媒作用によって基質が加水分解し、5-フルオロサリチル酸リン酸になった後、EDTA-Tb3+の水溶液(pH =13)を加え、5-フルオロサリチレート-Tb3+-EDTA三元蛍光錯体を生成させ、時間分解蛍光測定に用いる。5-フルオロサリチル酸リン酸エステルの代わりに、ジフルニサル(diflunisal)のリン酸エステルも酵素基質として使うこともできる。 この場合、時間分解蛍光測定に用いる錯体はEDTA-Tb3+とジフルニサルの三元蛍光錯体である。この方法を用いた生体成分の測定例としてヒト血清中のα-フェトプロテイン(α-fetoprotein、AFPと略す)や前立腺特異抗原(prostate specific antigen、PSA)12)などが報告されている。

3−6 ホモジニアス時間分解蛍光イムノアッセイ法

 ホモジニアスイムノアッセイは、固相材料が不要で、結合型と遊離型の分離(B/F分離)や洗浄などのステップがなく、速やかな測定が期待できることが利点である。希土類錯体蛍光ラベル剤の長寿命蛍光特性と蛍光化合物間の蛍光共鳴エネルギー移動を利用したホモジニアス時間分解蛍光イムノアッセイ法がすでに開発されている。その代表例は、time resolved amplified cryptate emission (TRACE)というホモジニアス時間分解蛍光イムノアッセイ法である。TRACE法では、まず2種の蛍光ラベル剤トリス ビピリジンクリプテート-Eu3+(蛍光エネルギー移動のドナー色 素、TBP-Eu3+と略す)とアロフィコシアニン(蛍光エネルギー移 動のアクセプター色素、cross-linked allophycocyanin、分子量104 kDの色素タンパク、蛍光発光極大波長665nm、蛍光量子収率約0.7、XL665と略す)でひとつの抗原と同時に反応できる2種の抗体をそれぞれ標識する。2種の標識抗体が抗原と結合し、ドナー色素とアクセプター色素が接近することで、ドナー色素の励起波長で照射すると、そのドナー色素の蛍光発光エネルギーがア クセプター色素に移り、蛍光エネルギー移動に由来するアクセプター色素に特徴的な蛍光シグナルを発する。ドナー色素の蛍光発光寿命が非常に長いため(約1ms)、蛍光エネルギー移動によるアクセプター色素の蛍光発光も長寿命となる。従って、アクセプター色素の長寿命化した蛍光を時間分解蛍光測定法で測定することができるようになる。溶液中にある未反応のXL665標識抗体 は、紫外光励起では発光しないのでその発光は除かれる。希土類錯体(長い蛍光寿命をもつ)の蛍光発光ピークは非常にシャープであるため、XL665の測定波長における希土類錯体の発光の重なりはわずかで、測定への干渉が小さい。実際に、この方法を用いて生体サンプルを測定する時に、シグナルとして用いるのは、665nmにおけるXL665の蛍光強度と620nmにおけるTBP-Eu3+の蛍光強度の比である。これは生体サンプルとサンプル間の光吸収や消光などの不均一性による影響を補正するためである。Fig.7にTBP-Eu3+の構造とTRACE法の原理を示した。この方法の応用例としては、ヒト血清中のAFPとPSAの測定やヒト免疫不全ウイルスプロテアーゼアッセイ、チロシンプロテインキナーゼアッセイ、p53/HDM2プロテインープロテインバインデイングアッセイ13)などが報告されている。

 XL665のほか、小分子の有機蛍光色素ローダミン、Cy3、Cy5などを蛍光エネルギー移動のアクセプター色素として使うホモジニアス時間分解蛍光イムノアッセイ法も報告されている。吸収波長と蛍光発光波長を蛍光エネルギー移動のドナー色素の希土類蛍光錯体と合わせるために、Cy3とローダミンを使う場合はテルビウム蛍光錯体をドナー色素として、Cy5を使う場合はユウロピウム蛍光錯体をドナー色素として用いる。これらの方法はすでにヒト絨毛性性腺刺激ホルモンの遊離β-サブユニット(free β-subunit of human chorionic gonadotrophin)の測定やベンスルフロン-メチル(bensulfuron-methyl)の測定、ヒトインタロイキン-2(interleukin-2)とインタロイキン-2レセプター相互作用測定などに応用されている。

4.多色測定

 三価ユウロピウム、サマリウム、テルビウムとジスプロシウムといった希土類蛍光錯体は蛍光波長が異なり、しかもいずれもシャープな蛍光ピークであるため、これらの錯体を標識剤として組み合わせることで、測定の多色化、つまり、同時に複数成分の分析が可能となる。

 Eu-Sm二重標識時間分解蛍光イムノアッセイは、通常サマリウムの測定感度がユウロピウムほど高くないため、その応用はほとんどサンプル中の低濃度成分(ユウロピウム標識を使う)と高濃度成分(サマリウム標識を使う)の二種類の物質の同時測定に用いられている。その例としては、ヒト血清中のルトロピン(lutropin)と卵胞刺激ホルモン(follitropin)の同時測定14)、ミオグロビンと炭酸デヒドラターゼの同時測定、AFPとヒト絨毛性性腺刺激ホルモンの遊離β-サブユニットの同時測定、妊娠性血漿タンパク質Aとヒト絨毛性性腺刺激ホルモンの遊離β-サブユニットの同時測定及び妊婦血清中のAFP、絨毛性性腺刺激ホルモンとエストリオールの同時測定などが報告されている。Eu-Tb二重標識時間分解蛍光イムノアッセイの例としては、ヒト血清中の遊離PSAと全PSAの同時測定15)が報告されている。

 本研究室で開発されたBHHCT-Eu3+とBHHCT-Sm3+を組み合わせて使うと、Eu-Sm二重標識時間分解蛍光イムノアッセイによる単一サンプル中の二成分同時測定も可能である。その応用例としてはヒト血清中のAFPとCEA(carcinoembryonic antigen)の同時測定や二種の薬物の同時測定がある

 また、BHHCT-Sm3+の代わりに、強い蛍光と長い蛍光寿命をもつテルビウム蛍光ラベル剤BPTA-Tb3+とBHHCT-Eu3+をラベル剤として組み合わせて使い、Eu-Tb二重標識時間分解蛍光イムノアッセイによるヒト血清中のAFPとCEAの高感度同時測定法も開発されている。Fig.8に示すように、この測定法では、まず抗AFP抗体と抗CEA抗体の混合液で96-ウェルプレートをコートし、ヒト血清と反応した後、BHHCT-Eu3+標識抗AFP抗体とビオチン標識抗CEA抗体の混合液を加え反応させる。反応が終わった後、プレートを洗浄し、そのまま615nmにおけるBHHCT-Eu3+の蛍光強度を測定し、AFPの濃度を計算する。続いてBPTA-Tb3+標識SAを加え、ビオチン化抗CEA抗体と反応した後、プレートを洗浄し、そのまま545nmにおけるBPTA-Tb3+の蛍光強度を測定し、CEAの濃度を計算する。このように蛍光増強溶液を使用す ることなく、高感度のAFP-CEA同時測定(検出限界:AFP,44pg/ml;CEA,76pg/ml)が可能になったのは、強い蛍光をもつEu-Tbラベル剤を用いたためである。

 Eu-Sm二重標識時間分解蛍光イムノアッセイにおいて、SCN-Ph-DTTA-Eu3+とSCN-Ph-DTTA-Sm3+をラベル剤として用いることができ、この場合、β-NTA、TOPOとトリトンX-100を含むDELFIA蛍光増強溶液をそのまま使うことができる。この蛍光増強溶液は、Tb3+とDy3+に非蛍光性であるため、Eu-Sm-Tb-Dy四重標識時間分解蛍光イムノアッセイによるヒト血清中のTSH、17α-ヒドロキシプロゲステロン(17α-hydroxyprogesterone)、免疫反応性トリプシン(immunoreactive trypsin)およびクレアチンキナーゼMMアイソザイム(creatine kinase MM isoenzyme)の4成分同時測定において、ピバロイルトリフルオロアセトン、Y3+、トリトンX-100と1,10-フェナントロリンを含む蛍光増強溶液が用いられた16)。この蛍光増強溶液の中で、Eu3+、Sm3+、Tb3+とDy3+イオンは、それぞれ820、88、323、27μsの蛍光寿命をもつ錯体を生成し、各イオンの検出限界は、それぞれ0.035(Eu3+)、7.9(Sm3+)、0.34(Tb3+)、46(Dy3+)pMである。

5.高感度化の工夫

 これまでの項では、高感度分析における標識剤として希土類蛍光錯体を質的な観点(特性)から解説した。本項では、量的な観点からの高感度化へのアプローチを紹介する。そのアプローチとは、直接希土類蛍光錯体を抗体等に標識するのではなく、高分子ポリマーと共有結合したり、あるいは高分子に埋包した後、その高分子を抗体などに結合させ分析に用いるというものである。これまで次の3つの方法が報告されている。

(1)BCPDA-Eu3+標識ポリビニルアミンービオチンーストレプトアビジン複合体を用いた方法17-20):この方法では、まずビオチン標識ポリビニルアミン(biotin)x-PVAを作り、更にBCPDAを用いて(biotin)x-PVAを標識する。得られた(biotin)x-PVA-(BCPDA)y (x = 5-10; y = 50-100)は一定量のストレプトアビジン(SA)とEu3+の溶液を混合すれば、時間分解蛍光イムノアッセイに直接使える高分子複合体(SA)z-(biotin)x-PVA-(BCPDA-Eu3+)yが得られる。この複合体を分析に用いるというものである。

(2)ユウロピウム蛍光錯体標識poly(Glu:Lys)-ストレプトアビジン複合体およびユウロピウム蛍光錯体標識poly(Glu:Lys)-BSA-ストレプトアビジン複合体を用いた方法21):この方法では、まず4-[2-(4-イソチオシアナトフェニル)エチニル]-2,6-ビス{[N,N-ビス(カルボキシメチル)アミノ]メチル}ピリジン{4-[2-(4-isothiocyanatophenyl)ethynyl]-2,6-bis{[N,N- bis(carboxymethyl)amino]methyl}pyridine}とEu3+との錯体を用いてpoly(Glu:Lys)を標識する。得られた標識poly(Glu:Lys)を更にストレプトアビジンと結合すると、ユウロピウム錯体標識poly(Glu:Lys)-ストレプトアビジン複合体が得られる。標識poly(Glu:Lys)をBSAと結合した後、ストレプトアビジンと結合すると、ユウロピウム錯体標識poly(Glu:Lys)-BSA-ストレプトアビジン複合体が得られる。二種類の蛍光高分子複合体がヒトPSAの高感度時間分解蛍光イムノアッセイに応用され、それぞれ4 pg/mlと6 pg/mlの検出限界を示した。

(3)ユウロピウム蛍光錯体を含むポリスチレンラッテクスナノ微粒子を用いた方法22-26):この方法では、まず30000分子以上のβ-ジケトナト-Eu3+蛍光錯体を含む直径107nmのポリスチレンナノ微粒子を蛍光プローブとして用いてストレプトアビジンや抗体を標識する。標識したストレプトアビジンと抗体がそのまま時間分解蛍光イムノアッセイに用いられる。この方法を用いたヒトPSAの時間分解蛍光イムノアッセイは0.21 pg/mlの検出限界を示した。

6.おわりに

 以上、希土類蛍光錯体の標識剤への利用について紹介した。生化学的分析においては、現在、有機系蛍光色素や酵素(アルカリ性ホスファターゼやペルオキシダーゼなど)が標識として多用されている。本稿で紹介した希土類蛍光錯体を含め、標識剤にはそれぞれ利点と欠点があり、目的とする分析に応じてその利点が最大限に生かされるように標識剤を選択することが賢明なことと思われる。希土類蛍光錯体による標識は、まだ広く使用されているわけではないが、蛍光寿命が長く時間分解測定が採用できるので、かなりcrudeな試料でも分析が可能であることが最大のメリットといえる。昨今、研究例が増えつつあるプロテオミクスなどの分野、すなわち、分析対象が、DNAのPCRのごとくin vitroでは増幅できるような試料でない分野において、その威力を発揮するものと期待される。そのような意味において、希土類蛍光錯体が認知されることを願いつつ、本稿を終えることとする。

参考文献

1) S. Weissman, J. Chem. Phys., 1942, 10, 214.

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著者氏名 松本 和子 (Kazuko Matsumoto)
所属 早稲田大学理工学部化学科
連絡先 〒169-8555 東京都新宿区大久保3-4-1
TEL: 03-5286-3108 FAX: 03-5273-3489
出身大学 東京大学大学院理学系研究科化学専攻博士課程修了
学位 理学博士
研究テーマ 希土類蛍光錯体を用いるバイオ分析手法の開発
趣味 テニス



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