漢方診療・再発見
3 気道炎症と漢方薬
宮田 健
崇城大学薬学部 未病薬学研究室
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1.はじめに
漢方薬による喘息を始めとする炎症性気道疾患の治療は長い歴
史があり、麻黄剤、柴胡剤を主にして一定の効果が認められてい
る。近年、気道炎症・アレルギーの多様な病態像に対する漢方薬
の多面的・総合的薬効評価や,さらに細胞・分子レベルでの作用
機序解明が進んできている。漢方薬は今までの難治性症例の治療
薬あるいは補助薬としてのみならず、次世代の治療原理とQOLを重視した
新規治療法としての意義を持つと考えてよい1)。
本稿では総合的気道クリアランス改善薬として臨床で繁用さ
れ、異常咳嗽、粘液過分泌に対する制御作用や粘液分子変換など
について、分子レベル・遺伝子レベルで基盤情報が集積されつつ
ある麦門冬湯のマイルドステロイド様作用機序を中心に概説す
る。
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2.鎮咳作用
1)作用特性
臨床的に問題になる咳は多種多様であり、特に気道炎症時の
咳は多成分からなる複合反射と考えられる。咳は、本来、気道内
異物排除を目的とする生体防御反射であるから、鎮咳薬の使用に
あたってはその役割を損なわない程度に緩和することが大事であ
り、気道のクリーニングを促進させることに意を注ぐべきである。
コデインや合成鎮咳薬は延髄の咳中枢(孤束核、小細胞性網様
体核、疑核などよりなる統合性神経回路網)を抑制して作用を現
すが、中枢性鎮咳薬は気道炎症時のメディエーターにより誘発さ
れる咳に対する抑制作用は弱い。コデインの投与は気道炎症反応
を増悪し,気道粘膜の被刺激性を反映する上喉頭神経自発放電の
振巾を増大させる(図1)2,3)
漢方鎮咳・去痰薬として分類されているものは20種類以上存
在し、「証」に応じて処方される。構成生薬・成分の違いにより、
それぞれ異なる作用態度を示すが、気管粘膜の器械的刺激により
誘発した咳に対する抑制は小青竜湯合麻杏甘石湯を除けば非常に
弱い。このことはirritant receptorの直接刺激によるA-線維を介す
る気道内異物排除(クリアランス)という防御反射としての咳を
抑制する作用が弱いことを示唆する。炎症時にメディエーターがC-線維末端
を刺激して起こす咳に対してはコデインではほとん
ど効果がないが、麦門冬湯はよく奏効する。このことは図1に示
されるように気道炎症時の上喉頭神経自発放電の振巾増大を抑制
することからも裏付けられる。
2)作用発現機序‐‐‐タキキニン制御作用
サブスタンスPやニューロキニンAなどのタキキニンは気道に
存在するニュートラルエンドペプチダーゼ(NEP)により分解不
活化される。これらのメディエーターによる咳反射は、NEP阻害
薬で増強されるのでNEP活性のレベルが咳反射を調節している
ことが推定される。NEP阻害薬ホスホラミドン自身が咳反射を誘
発するという成績は、タキキニンが内因性咳誘発物質として重要
な役割を果たしていることを強く示唆する。麦門冬湯とその主要
な活性成分であるオフィオポゴニンはサブスタンスPによる気道
炎症時の咳増強反応を著明に抑制する。気管支炎動物においては
気管および気管支のNEP活性が1/9程度に低下するが、麦門冬湯を
投与すると低下せず活性が維持される。サブスタンスPを始め
とするC-線維末端からのタキキニンの遊離はカプサイシン受容
体であるTRPV1受容体の活性化によるが、最近の研究により麦
門冬湯の鎮咳効果には気道炎症で増加したNO(Nitric Oxide)の
消去作用が関係することも示唆されている。
以上の成績を総合すると、麦門冬湯は咳反射のトリガー部位に
おけるタキキニン受容体(NK1およびNK2レセプター)レベルで
の拮抗作用に加え、タキキニンの生成,遊離,分解などの動態に
対しても総合的に作用し、これらのタキキニン制御作用が鎮咳作
用発現機序として重要であると考えられる3,4)。
また,これらの成績は アンギオテンシン変換酵素阻害薬(ACE阻害薬)による
咳などの難治性咳嗽の発現機序としてタキキニン受容体、特に
NK2レセプターが関与している可能性が高いことを示唆する。事
実、ACE阻害薬の連用により副作用として発現する乾性咳はコデ
インのような中枢性鎮咳薬では効果がなく麦門冬湯投与により完
全に遮断される5)。
図1.
亜硫酸ガス慢性暴露による気管支炎罹患モルモットの上喉頭神経自発放電に対する麦門冬湯とコデインの作用
これらの知見を基に、臨床でACE阻害薬による咳、或いは咳感
受性が亢進している喘息患者、透析患者や間質性肺炎・肺線維症
患者の乾性咳、或いは感冒後の遷延性咳の治療に麦門冬湯が用い
られており、高い有効性と有用性が認められている。
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3.気道分泌と粘液線毛輸送に対する作用
多くの慢性肺疾患において、特徴的に気道粘液の異常形成と過
剰分泌がみられる。それらの疾患における咳嗽は粘性の痰が除か
れると止ることが多い。本来、鎮咳・去痰という場合にはあくま
でも去痰に主眼がおかれなければならない。異常咳嗽は気道内異
物排除という生体防御反射としての咳の役割を損なわない程度に
緩和することが大事であり、気道のクリーニングを促進させるこ
とに意を注ぐべきである。従来の合成鎮咳・去痰薬にはこのよう
な考えが充分採り入れられているとは言い難い。これらの薬理学
的観点から我々は麦門冬湯の気道分泌と粘液線毛輸送に及ぼす効
果を評価した6-8)。
1)肺サーファクタント
肺サーファクタントは肺胞 型上皮細胞により合成・分泌され、
肺胞上皮表面に単分子膜を形成する。それにより直径200 μm内
外の大小の球形を呈するテニスコートの広さにも匹敵する肺胞表
面をわずか約20 mlで被い、肺胞自体の弾性と界面の表面張力に
よる収縮作用、特に肺胞気-液界面の表面張力を低下させ、肺胞
の虚脱による無気肺化を防ぎ、安定した換気能力を維持する。こ
の役割に加えて、肺サーファクタントは粘液線毛クリアランスに
重要であり、炎症性メディエーターは粘液線毛輸送を抑制する
が、肺サーファクタントはこの粘液線毛輸送の抑制に対して保護
効果があることを明らかにした1)。
麦門冬湯のろ過液で肺胞 型上皮細胞を処理すると肺サーファ
クタントの基礎分泌率は有意に増強した。その作用はβ2-アドレ
ナリン受容体の刺激薬に似ている。分泌の増強効果はプロテイ
ンAキナーゼ阻害剤であるH-89の前処理によって阻害されたが、β2-アドレナリン受容体
のアンタゴニストであるプロプラノロー
ルでは阻害されなかった。我々はまた、麦門冬湯が有意にまた
連続的に細胞内のCa2+濃度を増加させることを見出した。炎症
状態を再現し、肺サーファクタントの過剰分泌における麦門冬
湯とその主要活性成分の一つであるステロイドサポニンのオ
フィオポゴニンの効果を調べるために肺胞 型上皮細胞とサブス
タンスPで活性化した多形核白血球の混合培養系を用いた。麦
門冬湯とオフィオポゴニンは過酸化水素により増加した分泌を
有意に阻害した。これらの結果は麦門冬湯が肺サーファクタン
トに対して特徴的な分泌増強効果をもち、炎症性の量的・質的
過剰分泌を正常化することを示唆している。その機序について
検討したところ、β2-アドレナリン受容体遺伝子の発現が関与し
ていることが分かった6)。
肺胞 型上皮細胞のβ2-アドレナリン受容体mRNA発現量はデ
キサメタゾン処理により増加し、β1-アドレナリン受容体mRNA発現量は
有意な影響を受けない。麦門冬湯ではデキサメタゾンと
は異なり、肺胞 型上皮細胞のβ2-アドレナリン受容体mRNA発
現量は影響を受けないが、β1-アドレナリン受容体mRNA発現量
は有意に増加する。麦門冬湯によるβ1-アドレナリン受容体遺伝
子発現の選択的作用のメカニズムはまだ不明であるが、その効果
は慢性気道疾患における麦門冬湯の有効性に寄与するであろう。
なぜなら、β1-,β2-アドレナリン受容体は共に肺サーファクタン
トの分泌を仲介するからである。
2)気道粘液
健常な気道は高分子多糖体に富む粘液で覆われており、それは
コアタンパクとしてセリン、スレオニンに富む反復配列ドメイン
をもち、O-グリコシド型でオリゴ糖が結合している。気道粘液
多糖タンパクは気道粘膜の保湿・潤滑作用だけではなく、線毛輸
送による異物の捕捉と除去を含む多様な防御機能をもつ。しかし
ながら、過剰な粘液産生は慢性気管支炎、喘息、嚢胞性線維症、
気管支拡張症などの気道疾患の特徴である。これらの疾患におい
て、気道への多形核白血球の浸潤と1次感覚神経終末からのサブ
スタンスPの遊離がみられる。サブスタンスPは多形核白血球の
活性化を通して気道上皮細胞の粘液分泌に影響していると考えら
れる。この観点から我々は気道炎症の状態を再現するためにハム
スター気管上皮細胞の培養系およびサブスタンスPまたは他の刺
激剤により活性化した多形核白血球と気管上皮細胞の混合培養系
を用いて麦門冬湯の粘液調節作用を評価した。麦門冬湯のろ過液、
フラボノイドとサポニンを含む疎水性画分と糖とペプチドを含む
親水性画分において、単独培養した気管上皮細胞の通常の高分子
多糖体の分泌には影響しなかったが、気管上皮細胞と多形核白血
球の混合培養系において麦門冬湯のろ過液はサプスタンスP誘導
性の粘液(高分子多糖体)の分泌を有意に抑制した。粘液遺伝子
発現についてNorthern blotおよびRT-PCR解析の結果、s-HTE細
胞およびNCI-H292細胞にはMUC2とMUC5mRNAの発現が認めら
れた。麦門冬湯とデキサメタゾンはMUC2およびMUC5mRNAの
発現を濃度依存的に抑制した。
これらの成績は気道炎症に伴う杯細胞の過形成、粘液分泌異常
の機序を解明する上での重要な基礎データになり得る6-8)。
3)粘液線毛輸送に対する作用
粘液線毛系の測定方法について種々検討を行い、再現性,簡便
性、そして薬効評価に際しての種々の受容体、あるいは細胞内で
のシグナルトランスダクションの関係等について、ヒトとあまり
大きな相違がみられないウズラを用いた粘液線毛輸送能測定装置
を作成して実験系として用いた。
麦門冬湯とその活性成分であるオフィオポゴニンの投与によ
り、用量依存的な粘液線毛クリアランスの促進が認められた。
粘液線毛クリアランスの阻害物質にはいろいろあるが、DNAは
非常に強い阻害活性を示すことが知られている。DNA投与に
よって粘液線毛クリアランスは著しく阻害され、DNAの分解酵
素であるDNaseの投与によって粘液線毛クリアランスは回復す
る。2 μlの溶媒に溶かしたDNA 15 μgを約1/30秒程度の瞬間的
局所投与によって惹起された気道粘液線毛クリアランス低下は、
麦門冬湯及びオフィオポゴニンによって著明に回復した9)。
次にヒト好中球エラスターゼ(HNE)による粘液線毛輸送の
障害に対する麦門冬湯とオフィオポゴニンの作用についても検討
した。ウズラ気管の線毛細胞にHNEを局所投与すると、細胞の
配列の乱れとともに細胞の脱落が生じ、エラスターゼ阻害薬を投
与すると傷害された線毛細胞は修復する。HNE投与によって粘
液線毛輸送能は非常に強く、しかも持続的に阻害されるが、麦門
冬湯の投与で、輸送能は80%近くまで回復する9)。
HNE投与による気管粘液中の成分、特にDNA、フコース、プ
ロテインを測定し、麦門冬湯投与による変化について検討した。
HNE投与によってDNA、フコース、プロテインは著明に増加する
が、麦門冬湯投与でほぼ元の数値に回復した。HNE投与による粘
液線毛輸送能の低下に対して、オフィオポゴニン単独投与でも麦門
冬湯と同様、阻害された粘液線毛輸送の回復が認められた6,9,10)。
呼吸器作用薬で気道の閉塞を改善する薬剤はあまりない。β刺
激薬、抗ヒスタミン薬、抗アレルギー薬、ロイコトリエン拮抗
薬、あるいはエラスターゼ阻害薬などは、個々の実験系ではかな
りの効果が認められるが、全体的な作用としての気道粘膜・粘液
修復、気道クリアランス改善に対しては明確な実験的証明が得ら
れ難い。気道の粘液線毛クリアランスを総合的に回復させること
が必要であり、麦門冬湯はステロイド類似のmucoactive drugと
して特徴的な作用を有する方剤であるため高い有効性が得られる
のであろう(図2)1,10)。
図2.
気道上皮細胞における各種機能分子の遺伝子発現に対する麦門冬湯の作用
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4.マイルドステロイドとしての漢方薬と新規治療法への応用
気管支喘息や慢性閉塞性呼吸器疾患(COPD)等では気道に慢
性的な炎症があることが共通の特徴であり、気道上皮傷害、気管
支平滑筋の過敏症、気道粘膜の浮腫や粘膜下腺の過形成およびそ
れに伴う気道分泌物の充進と気道クリアランス障害などの多様な
病態が原因となり、ほとんどが難治性である。グルココルチコイ
ド製剤を用いると一定の効果は挙がるが、副作用が問題となる。
漢方薬を併用すると、グルココルチコイド依存性の喘息患者でグ
ルココルチコイドの減量あるいは離脱が可能であることが示唆さ
れている。このような背景から、我々は、奏効確実で副作用の少
ない新しい治療法の開発を目的として、漢方薬およびその成分の
ステロイド様抗炎症作用を病態モデル動物を用いて評価するとと
もに、転写調節作用をグルココルチコイド感受性のプロモーター
遺伝子を導入した細胞を用いて分子薬理学的に調べた1,11-16)。
1)病態モデル動物における作用
LPS及びIL-4により気道炎症モデルマウスを作製し、それら病
態モデルの粘液細胞過形成に対するグリチルリチンの作用及びそ
のメカニズムについて検討した。LPSを気道内へ投与したマウス
では、投与直後から一過性の好中球性気道炎症が惹起され、その
後に粘液産生細胞数が徐々に増加し、7日後に最大値を示した。
又、IL-4を気管内へ投与したマウスでは好酸球性の炎症は誘導さ
れなかったものの、投与後1日目に粘液産生細胞が過形成された。
これら病態の特徴から、それぞれのモデルを急性気道炎症様及
びアレルギー性気道疾患様の病態モデルと見なし、以降これら2つの病態モデルマウスに対するグリチルリチンの作用について調
べた。グリチルリチンは、LPSによって惹起された粘液産生細胞
の過形成を、その用量依存的に抑制した。又、デキサメサゾンも
グリチルリチンと同程度に粘液産生細胞の過形成を抑制したが、
去痰薬S-カルボキシメチルシステインは抑制しなかった。更にグ
リチルリチン及びデキサメサゾンは、LPS惹起モデルに於ける一
過性の好中球性気道炎症を顕著に抑制した。一方グリチルリチン
は、IL-4によって惹起された粘液産生細胞の過形成を顕著に抑制
した。又デキサメサゾン及びS-カルボキシメチルシステインも粘
液産生細胞の過形成を著明に抑制したが、その作用はグリチルリ
チンよりも弱かった。これらからグリチルリチンは、既存の呼吸
器疾患治療薬と同等、若しくはそれ以上に急性気道炎症及びアレ
ルギー性気道疾患に於ける顕著に亢進した粘液産生を抑制するこ
とが分かった。又、グリチルリチンが気道内への炎症性細胞の浸
潤を抑制するとともに気道上皮細胞に対して直接作用することに
より粘液産生細胞の過形成を抑制することが示唆された16)。
2)ステロイド様転写調節作用
グルココルチコイド感受性MMTVプロモーターを含むルシフェ
ラーゼレポータープラスミドをA549ヒト肺腺癌細胞にトランス
フェクトした。この系においてデキサメタゾンは明らかにプロ
モーター転写を活性化した。その効果はグルココルチコイド受容
体のアンタゴニストRU486の同時添加により完全に阻害された。
この系において柴朴湯および麦門冬湯単独では転写を活性化しな
かったが、デキサメタゾンを合せて処理することにより、転写活
性はデキサメタゾン単独よりも有意に強くなった。同様な転写活
性の増強が、柴朴湯と麦門冬湯に共通の構成生薬である甘草とそ
の主成分であるグリチルリチンにみられた。これらの知見から麦
門冬湯はグルココルチコイド依存性プロモーターの活性化によっ
てグルココルチコイドの効果を増強しており、またグリチルリチ
ンの効果もグルココルチコイド依存性プロモーターの活性化によ
るものと推定される11-16)。グリチルリチンはグルココルチコイド
の不活化酵素であるタイプ 11β-ヒドロキシステロイドデヒド
ロゲナーゼ(11β-HSD2)を阻害することが報告されている。11β-HSD2は
グルココルチコイドをNAD依存的に不活性な11-ケト
体に変換する。我々の検討の結果でも、グリチルリチンによる
11-βHSD阻害作用が重要であることが確認された。11β-HSD2は肺の気管、
気管支、肺胞の上皮細胞のみに発現している。この
局所的発現は他のグルココルチコイド感受性細胞に影響せずに上
皮細胞のみに作用することを示唆している。さらにこれらの結果
と相関して、グリチルリチンはデキサメサゾンによる粘液産生細
胞(NCI-H292cell)の粘液遺伝子MUC2およびMUC5ACのmRNAの
抑制を著明に充進し、グリチルリチンによるグルココルチコイド
依存性転写調節作用の充進が内因性の遺伝子でも生じることが分
かった。
グルココルチコイドは,グルココルチコイド応答エレメン
ト(GRE)との結合を介した直接の転写促進作用と、NF-κBや
AP-1などの炎症を惹起する転写因子の作用を核内で抑制する転
写抑制作用を有している。そこで、麦門冬湯はグルココルチコイ
ドと類似した転写調節作用機序をもつのではないかと考え、種々
の検討を行った。
まず、NF-κB依存的なIL-8プロモーター遺伝子をA549肺上皮
細胞に導入し、TNF-αによるIL-8プロモーターの活性化に及ぼす
影響を調べると、デキサメサゾンは活性化を抑制したが、麦門冬
湯も用量依存的にIL-8プロモーターの活性化を抑制することが認
められた(図3)。前述したように、麦門冬湯は単独ではGREモチー
フを有するMMTVプロモーターのA549細胞における転写活性を
促進しないが、デキサメサゾンに添加すると、デキサメサゾ単独
のほぼ2倍の転写活性を示す。
これらの成績を総合すると、麦門冬湯はグルココルチコイドの
転写促進作用を増強するとともに、直接的な転写抑制作用を示す
という特性を有すると考えられる17)。
同様の特性は麦門冬湯の構成生薬である甘草の主成分グリチル
リチンにも認められる。グリチルリチンは単独では転写促進作用
を示さないが、デキサメサゾンの転写促進作用を用量依存的に増
強することや、TNF-αで惹起したIL-8プロモーターの活性化を用
量依存的に抑制する転写抑制作用を示すことが確認されており、
麦門冬湯の作用の一部がグリチルリチンによる可能性が示唆さ
れる。そこで、IL-8プロモーターの活性化抑制がNF-κBの抑制に
よるのかどうかを明らかにするために、NF-κBコンセンスのモ
チーフのみを有するプロモーターの活性化に及ぼす影響を調べる
と、グリチルリチンはデキサメサゾンと同じように抑制すること
が認められた。Real time PCR法での検討では、グリチルリチン
はTNF-αで惹起したIL-8 mRNAの発現をデキサメサゾンと同様
に抑制することも確認された17) 。
図3.
A549細胞においてTNF-αで誘発したIL-8プロモーターの活性化に対する
麦門冬湯の作用
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5.おわりに
我々は基礎薬理学の立場から、気道炎症の多彩な病態に対する
漢方薬の医療学的利用価値について調べてきた。即ち、多分子機
能制御物質としての機能をもつものと考え、その多様な作用と主
要活性成分、作用機序を系統的・解析的に追及した。その結果、
治療効果に共通する作用としてグルココルチコイド様の抗炎症・
抗アレルギー作用、免疫調節作用、分泌調節作用、代謝調節作用
などが関与しており、その基盤となるものは、シグナルトランス
ダクションにおけるクロストーク、及び、遺伝子の転写調節を介
する細胞機能修復・活性化であることを明らかにした。我々が得
た成績を纏めたものを図4に示す。これらの成績は、多彩な病態
をもつ炎症性気道疾患の治療には、マイルドステロイド様の複合
的な作用をもつ多成分型の漢方薬が、単一成分型の西洋薬より明
らかに優れていることを示している。
漢方薬とその薬効を担う主成分の作用部位すなわち受容体を分
子レベルで解明し、同定した受容体の分布や下流シグナルをもと
に未病を特徴付けるための新規バイオマーカーを開発すること
はこれからの課題であろう。グリチルリチンの受容体について
は,既に核内のオーファン受容体を示唆する成績も得ており、従
来、創薬のターゲットとならなかった新規受容体が見出される可
能性が高い。更に、「抵抗力の弱った」と表現される高齢者の感
染防御に関する未病では、病原微生物に対する易感染性が問題
となる。我々は、基礎研究の中で見出した自然免疫系の調節因
子MUC1および抗MUC1抗体が易感染の原因に関与していると推
定している18-20)。即ち,MUC1 /抗MUC1抗体による自然免疫制
御機構の破綻が、易感染や癌の増殖を生じる原因となっている可
能性が高い。今後、特に抗MUC1抗体の役割の詳細を解明し易感
染に関する新規未病マーカーの一つとして確立できれば、「未病」
治療に関する科学基盤の構築に寄与するものと考えている。
図4.
気道炎症の多彩な病態に対する麦門冬湯の作用特性とその機序
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筆者紹介 |
 |
氏名 |
宮田 健 |
所属 |
崇城大学薬学部未病薬学研究室 |
略歴 |
1964年 熊本大学薬学部卒
1974年 薬学博士(東京大学)
1975年 文部省在外研究員(スウエーデン・カロリンスカ研究所)
1981年 米国メリーランド大学客員教授
1982年 熊本大学薬学部教授
1997年 米国テキサス大学教授 (兼任)
1997年 中国南京中医薬大学名誉教授
1997年 中国哈爾濱医科大学名誉教授
1998年 エジプトカイロ大学大学院客員教授
2006年 熊本大学名誉教授, 崇城大学薬学部教授
|
所属学会 |
日本薬理学会( 名誉会員)、和漢医薬学会( 理事)
未病システム学会(評議員)
日本東洋医学会、日本薬学会
米国胸部疾患学会、ヨーロッパ呼吸器学会
|
受賞 |
日本東洋医学会学術賞
日本薬学会学術貢献賞
和漢医薬学会賞
中西結合医学会栄誉賞
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