細胞外酸素測定技術の開発
Development of methodology of extracellular oxygen
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吉原 利忠 群馬大学 大学院理工学府 分子科学部門 准教授 |
Abstract
Molecular oxygen plays essential roles in aerobic organism as a terminal electron acceptor in the
electron transport chain of mitochondria in cells. Acute and chronic oxygen deprivation in cells
results in various diseases. Measurement of oxygen levels in biological samples is therefore of high
importance in elucidating fundamental studies of cellular metabolism and hypoxia-related diseases.
This review focusses on optical measurements of extracellular oxygen levels based on phosphorescence
lifetime and intensity measurements using a microplate reader and phosphorescent probes. Principles of
oxygen measurements by means of phosphorescence quenching, recent advances of extracellular oxygen
probes and their applications to quantitative oxygen levels and oxygen consumption rate are described.
1. はじめに
好気性生物の生命活動において、酸素は必要不可欠な物質の1 つである。細胞内の酸素は、主にATP 合成のためにミトコンド リアの電子伝達系における最終電子受容体として消費される1)。 そのため、細胞内酸素レベルの変化、特に酸素レベルの低下は生 命活動に大きな影響を及ぼす。何らかの原因によって、細胞内の 酸素レベルが低下すると、通常酸素下においてタンパク質分解さ れていた低酸素誘導因子(HIF-1α)が安定となる。安定化した HIF-1αは、核内に移行し低酸素状態を解消するために様々な遺伝 子の発現を上昇させる2)。例えば、がん組織のように低酸素環境 下にある細胞では、酸素レベル低下によって、好気的代謝から嫌 気的代謝になることで生成できるATP 量が大きく減少する。そ のため、グルコーストランスポーター1 の発現量が増加し、グル コースの取り込み量を増加させる。また、血管内皮細胞増殖因子 の発現により無秩序な血管新生が促進される。このように細胞は、 酸素レベル変化に対して迅速に対応できる備えを有している。一 方、どのくらいの酸素レベルまで低下したら、このようなシステ ムは機能するのだろうか。この疑問に対しては、細胞内・外の酸 素レベルや酸素消費速度(OCR)を正確に測定することが必要と なる3)。これまでに、抗HIF-1α抗体やニトロイミダゾール誘導 体などの低酸素マーカーを用いて、低酸素細胞を検出する方法が 開発されている4, 5)。低酸素マーカーを用いた場合、対象となる 細胞がある時点で低酸素状態であったことを履歴として記録でき る一方、酸素レベルを定量化し、その変化をリアルタイムに追跡 することはできない。これに対して、近年、分子の発光の1 つで あるりん光を用いた方法が注目されている6-8)。本稿では、りん 光を利用した細胞外酸素濃度やOCR 測定について、測定原理や 実際の測定例について紹介する。
2. 酸素の測定原理
分子の発光を利用した生体内情報計測(温度、粘度、pH、生体関連化学種)は、生物、薬学、医学にとって強力な研究ツールとなっている9,10)。例えば、温度によって構造が変化する高分子に、環境応答型蛍光団を結合させ、その蛍光特性の変化から細胞内の温度を計測することができる11)。ここで、蛍光団として用いている有機化合物の発光は励起一重項状態(S1
状態)からの発光であり、現在使用されている発光プローブのほとんどが蛍光を検出する蛍光プローブである。一方、酸素を測定する際には、励起三重項状態(T1状態)からの発光であるりん光を用いることが有効である。りん光はスピン禁制遷移であるため、蛍光に比べて発光寿命が著しく長い。その結果、りん光プローブを取り込んだ細胞や組織にパルス光を照射すると、通常、自家蛍光は数十ナノ秒以内に減衰して消えてしまうのに対して、りん光は数百ナノ秒から数百マイクロ秒以上の間、光り続ける。よって、りん光寿命が数マイクロ秒以上ある励起分子では、励起寿命内に拡散によって周囲の酸素分子と衝突することが可能となるため、酸素分子にエネルギーを渡して励起分子が基底状態(S0
状態)に失活するりん光消光が起こる。
酸素によるりん光消光が2
分子反応にしたがって起こると仮定すると、りん光強度(Ιp)、りん光寿命(τp)と酸素濃度(O2)あるいは酸素分圧(ρO2)は、(1) 式に示すStern-Volmer の関係式で表すことができる。
ここで、I op と τ op は、それぞれ[O2]=0(あるいは ρO2=0)のときのりん光強度、りん光寿命であり、Ksv(あるいは K’sv )は Stern-Volmer 定数である。ここで、Stern-Volmer 定数はりん光消光速度定数 kq(あるいは k'q)との積である。(1)式を変形すると[O2]および ρO2は、
となる。(2)式を用いた場合
Ksv(あるいは K’sv )とI op 、(3)式を用いた場合 Ksv(あるいは K’sv )と τ op をあらかじめ求めておけば、りん光強度 Ip またはりん光寿命 τp の測定から酸素濃度([O2])あるいは酸素分圧( ρO2=0)を決定することができる。ここで、(2)式と(3)式は、それぞれりん光強度測定とりん光寿命測定に基づいて[O2]や ρO2を決定する式である。
りん光強度は、プローブ分子の濃度、励起光強度、測定光学系に依存するのに対して、りん光寿命はこれらに依存しない。したがって、酸素濃度や酸素分圧の定量的測定では、培養液中(細胞外)のようにプローブ分子が均一に溶けている場合を除いて、りん光寿命を計測することが求められる。
3. 細胞外酸素濃度計測および酸素消費速度(OCR)
平面培養細胞は、通常21%O2
条件下で培養されているため、細胞内で消費された酸素は、培養液からすぐに供給される。空気中から培養液中への酸素拡散が十分に速い場合、細胞内の酸素レベルはほぼ一定である。このため、細胞外酸素レベル計測においては、外部からの酸素流入を遮断する必要がある。これは、酸素透過性の低いミネラルオイルで培養液を覆うことで達成できる (図1)
。また、測定時に用いるデッシュ、チャンバー、プレートもなるべく酸素透過性の低いものを選ぶべきである。ガラスは酸素を透過させないため、理想的な素材である一方、細胞接着が悪いことやすべてガラスでできたものは汎用性に欠ける。
細胞外酸素濃度やOCR
測定で用いられる機器として、フラックスアナライザーがある。専用プレートに細胞を播種し、センサーカートリッジによって半閉鎖的微小環境を構築する。センサーカートリッジには、酸素センサーとpH
センサーが搭載されており、また、細胞の代謝過程を変えるための試薬を添加することができる。この装置を用いて、細胞外酸素濃度のリアルタイム測定やOCR
と代謝活性の関係が明らかにされている12)。フラックスアナライザーは導入のための初期費用が比較的多く必要であること、また、専用プレートを用いるためランニングコストもかかる。そのため、多くの研究室で導入されている汎用のマイクロプレートリーダーとりん光プローブを用いて、細胞外酸素濃度やOCRを簡便に計測する手法が開発されている13)。次節ではマイクロプレートリーダーを用いた測定について紹介する。
3.1. りん光寿命測定に基づく方法
マイクロプレートリーダーの励起光源は、パルス幅が数マイクロ秒のキセノンフラッシュランプが用いられているため、発光強度測定に加えて、時間分解発光強度測定に基づく発光寿命測定も可能である。マイクロプレートリーダーを用いたりん光寿命測定では、励起パルス光の照射後に2 つの遅延時間(t1、t2)を設定し、その時間幅(W)において積分された発光強度(I1、I2)を測定する(図2)。りん光寿命は、(4)式を用いて算出する。
細胞外計測では、培地に添加されたりん光プローブが細胞内に移行せずに培地中に留まることが必要である。Papkovsky らは、Pt(II)- コプロポルフィリン錯体(PtCP)をウシ血清アルブミン(BSA)に結合させた細胞外酸素プローブ(PtCP-BSA)を開発した14)。疎水性の高いPtCP を水溶性タンパク質であるBSAに結合させることで、PtCP は培養液中に留まる。PtCP-BSA は、360 - 400 nm(極大波長:380 nm)と525 - 545 nm(極大波長:535 nm)に、それぞれPtCP のソーレー帯とQ 帯に由来する吸収、630 - 670 nm(極大波長:650 nm)にりん光を示す。また、空気飽和下および脱酸素下におけるりん光寿命は、それぞれ27 μs、72 μs であり、市販のマイクロプレートリーダーを用いて発光寿命測定が可能である。彼らは、プレートに播種されたマウス胎児線維芽細胞の細胞外酸素濃度やOCR を測定した15)。PtCP-BSAは培養液に溶解しているため、正常細胞、がん細胞、細胞から単離されたミトコンドリアなど幅広く使用できる。一方、りん光性分子であるPtCP がBSA に結合していることから、酸素によるりん光消光が(1)式に示すような Stern-Volmer の関係式に従わない15)。よって、りん光寿命から酸素濃度を計算する際に、いわゆる2 サイトモデル16)での解析や物理的に意味を持たない指数関数を用いた解析が必要となる。また、Q 帯の光吸収効率はソーレー帯のそれよりも低いため、通常、励起波長として380 nm の紫外線を用いる。そのため、長時間測定では光毒性が懸念される。さらに、時間分解発光強度測定の機能が搭載されていないマイクロプレートリーダーでは、細胞外酸素濃度やOCR の絶対値を求めることは困難である。
3.2. りん光強度測定に基づく方法
発光強度測定は、簡便に測定できる一方、培養液中のプローブ分子の濃度、励起光強度、測定光学系に依存するため、異なる実験日や異なるプレートのデータを比較することは困難である。ここで、(2)式において Ksv(あるいは K’sv )は測定条件が決まれば、固有値として扱うことができる。そのため、各測定におけるが決定できれば、発光強度測定から、酸素濃度を求めることが可能となる。
(1)式より、I op =I p ×( τ op / τ p )の関係から、空気飽和下におけるを測定することで、その実験におけるを決定できる。例えば96ウェルプレートを用いた実験では、培養液中に溶解したりん光プローブのを測定するレーンを設定する。ある実験において、I p が 1000 ならば I op は 1000 ×( τ op / τ p )となり、別な実験で I p が 1200 ならば I op は 1200 ×( τ op / τ p )となる。ここで、温度一定のもと、酸素プローブのりん光が溶存酸素のみによって消光される場合、 τ op / τ p は一定値となり、その実験におけるI op を正確に算出できる。これにより、発光強度測定から培養液中の酸素濃度を求めることが可能となる。OCR
においては、培養液の体積(例えば100 μ L)から溶存酸素量を求め、その時間に対する変化の傾きから 1 ウェル当たりのOCR が決定できる。これを細胞数で割れば、1 細胞当たりのOCR
となる。筆者らは、Stern-Volmer の関係式が適用でき、また、発光強度測定から細胞外酸素濃度や OCR
の絶対値を求めることが可能な細胞外酸素プローブの開発を進めた。ここでは、りん光性化合物にイリジウム錯体( Ir
錯体)を用いた。Ir 錯体は、可視光領域に光吸収効率の高い吸収帯があり、また、吸収極大波長、りん光極大波長、りん光量子収率、りん光寿命が配位子に依存して著しく変化する。近年、Ir 錯体を酸素プローブとする細胞および組織内酸素分圧計測・イメージングが報告されている17)。筆者らは、赤色りん光を示す Ir 錯体の配位子にポリエチレングリコール(PEG)を結合させた Ir
錯体 1 を合成した。PEG は、生体親和性が高く、疎水性化合物の親水性を向上させるためにしばしば利用される。Ir
錯体 1 は、可視光領域において 480 nm 付近に吸収極大、645nm にりん光極大を示す(図3)。また、空気飽和下および脱酸素下の生理食塩水中、37 ℃におけるりん光寿命は、それぞれ 0.9μs、4.0 μs である。細胞外酸素濃度やOCR
測定では、細胞の生理活性を維持するために細胞培養液を用いる。通常、培養液中には 10% 程度のウシ胎児血清(FBS)があり、FBS
中に含まれるアルブミンがりん光消光に影響を及ぼすことがある。我々は、FBS 中におけるIr 錯体 1 のりん光寿命測定から、培養液中におけるIr 錯体 1
の酸素によるりん光消光が、アルブミンの影響を受けることなく、(1)式に従うことを明らかにした。
次に Ir 錯体 1 を用いて求めた細胞外酸素濃度やOCR の結果について示す。96 ウェルプレートにヒト結腸腺癌由来の細胞を播種し、48 時間培養後に Ir 錯体 1 を含む McCoy’s 5A 培地で置換した。ミネラルオイルで封止したウェルと、封止直前に脱共役剤である FCCP を添加したウェルについ、りん光強度測定を実施した。図4A に示すように時間経過とともにりん光強度が増加し、また、増加の割合は FCCP を添加したウェルの方が未添加のウェルよりも大きかった。これは細胞の酸素消費によって培養液中の酸素濃度が減少し、その減少速度は FCCP を添加することで速くなったためである。(2)式に測定されたりん光強度 I p を代入し、得られた酸素濃度の時間変化(図4B)の初期( 0 - 60 min)における傾きから、FCCP が未添加および添加された 1 ウェル当たりの OCR をそれぞれ 30 pmol min-1、129 pmol min-1 と求めた。各ウェル内の細胞数はほぼ同じであるため、FCCP を添加することで細胞の OCR が著しく増加することがわかった。これはフラックスアナライザーを用いた計測や、PtCP-BSA のりん光寿命計測から得られた結果と同じである。また、りん光強度測定から細胞外酸素濃度や OCR の絶対値を決定できることが明らかとなった。
4.おわりに
本稿ではマイクロプレートリーダーとりん光プローブ分子を用いた細胞外酸素濃度および OCR 測定について、りん光寿命法とりん光強度法に基づく測定法について紹介した。本測定では、細胞内で消費された酸素が、培養液から素早く移動することを仮定している。実際の酸素消費の現場は細胞内であるため、細胞内酸素レベルをリアルタイムで計測する研究も国内外において勢力的に進められている。また、細胞内の酸素レベル変化は、代謝産物変化や pH 変化とも密接に関連しているため、これらを簡便に測定することが、細胞を基軸とした生命活動を理解する上で大変重要である。今後、酸素以外についても、多くの研究者が汎用的に利用できる分子プローブの開発が期待される。
[ 著者プロフィール ] | |
氏名 | 吉原 利忠(YOSHIHARA Toshitada) |
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所属 |
群馬大学大学院 理工学府 分子科学部門 〒376-8515 群馬県桐生市天神町1-5-1 TEL:0277-30-1211 |
出身学校 | 群馬大学大学院工学研究科 |
学位 | 博士(工学) |
専門分野 | 光化学 |
現在の研究テーマ | 生体内情報計測のための小分子発光プローブの開発 |