包括的な解析が明らかにする新たな細胞代謝の世界
Dojindo Molecular Technologies, Inc. 清野 涼
代謝を制御することは、細胞内のエネルギーと生体分子の適切なバランスを維持するために重要である。ホルモン、酵素等の関連因子や時には代謝物までもが共役してそれぞれの代謝経路を制御し、細胞内の恒常性を維持している。複雑に絡み合うこれらの代謝関連因子が一度不均衡の状態になると、糖尿病、癌、神経変性疾患などの疾病を引き起こすことが広く知られ、現在では細胞代謝に焦点を当てた治療法の開発も盛んに行われている。さらに、メタボロームやRNA-seq トランスクリプトームといったオミクス解析の普及により次々と新しい知見が報告されており、個体のホメオスタシスを細胞代謝という観点から明らかにしていく流れは昨今加速しているように感じる。本稿では、最近報告された①核内トリカルボン酸 (TCA)サイクルの存在、②アルツハイマー病における代謝スイッチングといった代謝に関連するユニークな2 つの論文を紹介する。(概略図を(図1)に示す。)
①核内TCA サイクルの存在 1)
核酸とヒストンの修飾は、その基質と補因子の多くをTCA サイクルに依存している。これまでTCA サイクルに関連する酵素が核に存在していることは知られていたが、対応する経路はミトコンドリアで機能すると考えられていた。Kafkia らは質量分析を活用したメタボローム解析によりこのTCA サイクルの一部が核内でも機能していることを示した。13C 安定同位体追跡分析を用いて、 HeLa 細胞の核において一部のTCA サイクルに関連する変換経路(グルタミン➡フマル酸or アスパラギン酸、クエン酸➡コハク酸)の活性化を確認した。さらにBiotin を活用した近接標識質量分析により、TCA サイクルに関与する酵素とコア核タンパク質が近接していることが明らかとなっている。この結果は、TCA サイクルの一部が核内で活性化していることを示唆している。加えてTCA サイクルに関与する2- オキソグルタル酸デヒドロゲナーゼ(OGDH)の核局在化により、核タンパク質のスクシニル化が惹起され、これがマウス胚性幹細胞(ES 細胞)における多能性に関連することも明らかにしている。これらの結果はオルガネラ依存的な代謝に関する新たな見解を提起するだけでなく、代謝とエピジェネティックな分化に関する新たな空間的背景を示唆している。
②アルツハイマー病における代謝スイッチング 2)
孤発性アルツハイマー病 (AD)は遺伝、環境、生活習慣などの複数の因子が発症に関与しており、原因の解明には未だ至っていない。Traxler らはAD 患者由来の線維芽細胞から直接変換された誘導ニューロン(iN)を利用して、AD iN の代謝状態が好気的解糖(ワールブルグ効果)へスイッチしていることを確認した。さらにRNA-seq トランスクリプトームと質量分析を活用したメタボロミクス分析を組み合わせて、解糖酵素ピルビン酸キナーゼM(PKM)が選択的スプライシングによりがん様PKM であるPKM2 へアイソフォームスイッチングしていること、そしてこのスイッチングがAD iN の代謝および転写の変化をもたらしていることを明らかにした。これらの変化はPKM2 の核移行に起因し、ワールブルグ様の代謝シフトが起きたニューロンではアポトーシス感受性が促進していた。阻害剤を用いてPKM2 の核移行を防ぐことで、AD 特異的遺伝子発現並びに代謝変化を逆転させ、細胞死に対する感受性を回復させることにも成功している。これらの新しい知見はAD の治療戦略に新たに代謝シフトと言う概念を提起している。
これら報告ではメタボローム解析やトランスクリプトーム解析といった包括的な解析と独自のアイディアを組み合わせることで代謝研究に新たな知見をもたらしている好例である。研究手法の発展は基礎研究分野の発展のみならず、その先にある病態解明や早期治療法の発見にも不可欠なものである。一方で、最先端の研究手法はそのコスト面やハード面から導入ハードルが高いのも事実であり、類似した解析をするために他の方法を提案しハードルを下げることも各種試薬・装置メーカーに期待されることである。小社ではプレートリーダーを活用した簡便かつ多検体処理に向いた代謝関連製品を数多くラインナップしている。またそれらを組み合わせた実験手法(代謝シフト測定法等)や各種薬剤刺激に伴う包括的な代謝変化をアプリケーションデータとしてweb ページに掲載している。最先端の研究に触れ、思い浮かんだアイディアを実現に移す際に小社の試薬・情報がその一助になることを期待している。
【参考文献】
- Eleni Kafkia, et al.,“ Operation of a TCA cycle subnetwork in the mammalian nucleus”, Sci. Adv., 2022, 8, eabq52.
- Larissa Taxler, et al., “Warburg-like metabolic transformation underliesneuronal degeneration in sporadic Alzheimer’s disease”, Cell Metab.,2022, 34, 1248-1263.