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連載
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膜タンパク質機能解析のための結晶構造解析戦略 吉川 信也 兵庫県立大学大学院 |
膜タンパク質の機能解析は、次世代生命科学の中心になると考えられるピコバイオロジーの推進に不可欠である。本連載では、この知名度の低い「ピコバイオロジー」の概念と現状をまず紹介し、そのもっとも重要な課題である膜タンパク質の機能解析のため、結晶構造解析がいかに重要であるかを、事例研究も紹介しながら考察する。次に膜タンパク質結晶化及び結晶構造解析戦略の現状について概説し、今後の展望を考察する。
「生命現象はタンパク質の駆動する化学反応である。」と言える。(ここでの「化学」は物理学と化学の境界が消滅している現状を考慮したものである。例えば、光合成に於ける太陽光の受容も「化学反応」に含めている。)したがって、生命現象の解明とはタンパク質の機能を化学反応としてとらえる(化学の言語で記述する)ことであると言える。そのためには図 1 のようにタンパク質の機能中心を構成する各原子の位置を結晶構造解析により、化学反応性を原子間に形成されている化学結合の振動分光学(赤外、ラマン分光)解析により決定する必要がある。このようにしてどのような化学反応性を持つ原子が機能中心空間にどのように配置されているかを決定する。さらに、タンパク質は機能中心の構造を変化させることによって化学反応を駆動する。したがって、上述の機能中心の位置と化学反応性の時間変化を追跡することがタンパク質の機能を化学反応としてとらえる(化学の言葉で記述する)ために必要である。振動分光学的解析により得られた化学結合の振動数にもとづいて、化学結合距離は 10-12 m(ピコメートル)より高精度で決定することができる。化学反応性はそのように微小な結合距離の違いに大きく影響される。そこでこのようにして、ピコメートルの精度での機能中心の構造の時間変化にもとづいてタンパク質の機能を解明することにより生命現象を化学の言葉で記述することがピコバイオロジーと命名されている。
原子の位置情報は現在最も精度の高いタンパク質 X 線結晶構造解析によっても 0.1Å (10-11 m)程度の精度しか得られない。しかし、結晶構造解析法により原理的には、タンパク質を構成する全ての規則的に配置された原子の 3 次元的位置を決定することができる。しかし、タンパク質のような巨大分子の各原子の位置を上述のような振動分光学的精度で決定することは現実的には不可能であり、各原子の化学反応性を結晶構造解析だけから求めることは非常に困難である。一方、振動分光学的方法の精度は化学反応性の解析に十分であるが、 3 次元的情報が原理的に含まれていない。したがって、タンパク質のように巨大で同種の多数の化学結合を含む巨大分子では、検出された振動数がタンパク質中のどの化学結合に由来するかを同定することはほとんど不可能である。このように、結晶構造解析法と振動分光法は相補的であり、ピコバイオロジーの両輪といえる。
機能中心に色素分子が含まれている場合は共鳴ラマン分光法により、特異的にその機能中心の振動分光情報が高精度で得られる。細胞の生存に不可欠な多くのタンパク質は金属イオンや可視吸収を持つ種々の化合物を機能中心に持っているため、共鳴ラマン分光法は反応機構の理解に大きく寄与してきた。しかし、機能中心には可視吸収を持たないアミノ酸残基が可視吸収を持つ化合物を保持し、その機能を発揮させるために重要な役割を持っており、共鳴ラマン分光法にも限界がある。このようなアミノ酸の機能解析には赤外分光法が不可欠である。
特定のアミノ酸の赤外分光情報は、原理的には無細胞遺伝子発現系を構築し、部位特異的同位体標識法により得られる。しかし、現在無細胞発現系構築は主に小型の水溶性タンパク質にしか適用されておらず、興味深い機能を持つ多数のサブユニットで構成された膜タンパク質に関する報告はない。少数の挑戦的な試みはなされているが 1) 、収量、再現性ともにまだ改良の余地は大きい。さらに、次に述べるように、赤外分光学的研究のタンパク質への適用に関する問題点もあるため、膜タンパク質の同位体標識技術の開発はあまり活発に行われているとは言えない。
タンパク質は水溶液中で生理機能を発揮する。それは膜タンパク質でも同様で膜貫通型膜タンパク質は水溶液中のリン脂質二重層に組み込まれて両端は水溶液中に、中央部は脂肪酸鎖の形成する疎水的環境に置かれることにより安定化されるよう設計されている。事実、膜タンパク質は有機溶媒中では極めて不安定で変性しやすい。しかし、水は強い赤外吸収を持つため水溶液に赤外分光法を適用することは不可能であることは常識である。したがって、部位特異的同位体標識法が大きく進歩しても、赤外分光学的機能解析は不可能である。一方、タンパク質内部ではタンパク質外の均一溶媒系では実現が極めて困難な微小環境が形成されており、これがタンパク質内部のアミノ酸残基の化学的性質に大きく影響すると予想される。実際、例えば、酢酸の pKa 値は水溶液からメタノールに溶媒を交換するだけで 5 程度増加することが知られている 2) 。しかし、これまでは X 線構造解析によって位置が決定されたタンパク質内部のアミノ酸残基の化学的性質はその周辺の微小環境を X 線構造から見積もることにより推定されてきたが、赤外分光学的実測が不可欠であることは言うまでもない。
機能中心を構成するアミノ酸残基はタンパク質外で人為的に構成することが困難な環境に置かれている可能性が高い。したがって、このような環境で進行する化学反応を既存の化学の語彙だけで記述することは不可能である可能性がある。何故なら、既存の化学はタンパク質外の均一溶媒系での知見に基づいて構築されているからである。したがって、ピコバイオロジー研究の推進のためには化学の語彙を増やす必要がある。ここで生物学と化学とが融合する。この融合もピコバイオロジーの重要な目標の一つと考えられている。
生命現象をタンパク質の機能を化学反応としてとらえることにより解明することを目指すピコバイオロジーは以下のようにして推進される。目的とする生命現象の巨視的な現象解析から出発し、その現象を駆動する多数のタンパク質を探索、同定する。次にそれらを単離し、個々のタンパク質の機能を上述の 2 つの技術(結晶構造解析と振動分光学的解析)を利用して化学反応として解明する。このようにして機能を解明された個々のタンパク質がどのようにして、その生命現象を駆動するシステムを形成するかを解析することにより巨視的に解析された現象の機構を解明することができる。生命現象を化学反応として理解する(ピコバイオロジー)ためには上述の 2 つの技術だけでは不可能であり、このような研究全体が必要であることを強調したい。巨視的な現象解析からタンパク質の同定単離までを細胞生物学的研究、それ以後を構造生物学的研究と大別することができる。これら 2 つの研究はそれらの方法も考え方も大きく異なるため、通常は別々の研究グループで推進されている。その結果ピコバイオロジー的視点がしばしば欠落し、細胞生物学的研究においては多彩な現象に目を奪われてそれらがタンパク質によって駆動される化学反応であることが忘れられる結果、実験結果の学術的意義づけが不明瞭になり、応用への可能性しか議論されていないことが多くなる。一方、構造生物学的研究が生命現象の解明を目指すというピコバイオロジーを無視されると当該研究者の持っている高度な技術を適用するのに都合のよいタンパク質が研究対象として選択される結果、技術的には極めて高精度ではあるが、生命科学の進歩にはほとんど役立たない実験結果を出し、その分野内で褒め合い感心し合っているだけになりがちである。
しかしながら、特に最近数年で、放射光施設が世界的に見ても増加していることに加えて X 線回析実験技術と X 線結晶構造解析技術が著しく進歩し、一昔前には X 線結晶構造解析はエキスパートにしか手の届かないものであったが、現在では、素人でも専門家の適切な助言があれば参入できるようになってきている。これは、 X 線結晶構造解析分野の研究者がこの技術の生命科学の進展への貢献の可能性を深く認識し、非専門家でもこの技術を利用できるよう多大な努力を傾注してきた(現在もしている)結果であり、この X 線結晶構造解析技術の開発に携わってきた研究者の科学に対する真摯な姿勢は特筆すべきことである。このような状況の変化の結果、細胞生物学を専門としてきた研究グループが X 線結晶構造解析も並行して推進し、細胞生物学研究グループで実験結果を原子座標に基づいて考察するようなことが珍しくなくなってきている。
このように生命現象をタンパク質の駆動する化学反応としてとらえるというピコバイオロジー的研究は確実に盛んになってきている。しかし、上述の通り赤外分光解析がタンパク質に適用できないことに加えて、第 3 世代の放射光による最も優れた X 線構造解析法もタンパク質が駆動する反応過程に伴う変化を追跡するに十分な時間分解能を持たない。これまでもラウエ法等、時分割解析の試みはあったが、反応機構解析に十分な時間分解能と構造精度を持つ方法は開発されていなかった。時分割 X 線構造解析は生命科学研究者には見果てぬ夢であった。したがって、種々の方法で反応過程の中間体を可能な限り多数捕捉、固定し、その X 線構造から反応過程を推定する他なかった。第 2 の無視できない第 3 世代放射光設備による X 線構造解析の欠点は、強い X 線照射によるタンパク質構造の損傷である。この損傷を防ぐため不凍剤に浸漬した結晶を 100K 以下の低温で凍結しなければならない。しかし、以下に述べるようにこのような条件で測定されたデータでも、酸化還元金属タンパク質のように X 線感受性の高い場合は、 X 線損傷を完全に除去することは非常に困難である 3, 4) 。
したがって、ピコバイオロジー(タンパク質の機能中心を構成する原子の位置と化学反応性の当該タンパク質が駆動する化学反応過程の進行に伴う変化を追跡することによってタンパク質の機能を化学の言葉で記述する。)の実現は技術的にはほとんど不可能であった。実際、これまでに「ピコバイオロジー的」に解明されたタンパク質機能は皆無である。
しかしながら、最近、兵庫県立大と理研播磨研究所を中心とした、ピコバイオロジーの実現のための地道な息の長い努力が実を結び始め、ピコバイオロジーという夢が現実のものになりつつある。
水(H2O、軽水)は特にタンパク質を構成するアミノ酸側鎖とペプチド結合(アミドバンド)によるシグナルのあらわれる波数領域(指数領域と呼ばれる)に強い吸収を持つため、通常の市販の赤外分光装置(FTIR)でタンパク質部分の赤外スペクトルを検出することは不可能である。そこで水のこの強い吸収の影響を種々の方法で軽減する(例えば、大部分の水を除去した乾燥フィルム。高濃度のタンパク質溶液を短い光路長で測定。軽水を重水(D2O)に置換。)ことによって測定が試みられている。しかし、測定精度も汎用性も不十分である。この制約はつまるところ水が強い赤外吸収を持つためである。そこで、フェムト秒レーザーの白色性を利用した強い赤外光源を開発するとともに超高精度の赤外検知器を導入することにより、水の吸収の影響を大幅に軽減し、Amide-T 領域のペプチド C=O の 1 残基のバンド位置の変化でも、時分割(nsec レベル)測定が可能なシステムの開発に成功した。このシステムを利用してウシ心筋チトクロム酸化酵素の CO 光解離後の赤外スペクトル変化(半減期 1.5 μsec)の精密測定に成功した(図 2) 5) 。このスペクトル変化は Amide-T 領域で 1 残基のペプチド C=O のヘリックスからバルジへの遷移が高精度で捉えられることを示している。これらの結果はピコバイオロジーの実現に不可欠な技術の一つである赤外分光技術の確立を示すものである。 X 線構造はヘリックスからバルジへの遷移は Ser382 残基でしか起こらないことを示していたため 6) この赤外吸収変化を部位特異的標識なしに Ser382 残基に同定することができた。この例が示すように高分解能 X 線構造解析と比較することにより、同位体標識なしに、赤外シグナルの帰属が期待できる。原理的には目的タンパク質の結晶を用いて、赤外異方性を決定することによりシグナルの同定は可能である。大きな困難は予想されるが挑戦するに値する研究課題である。
ピコバイオロジーのもう一つの基礎技術である時分割 X 線構造解析法は昨年度より稼働を開始した理研自由電子レーザー設備(XFEL 、愛称 SACLA)によりまさに急転直下実現した。 SACLA は第 3 世代の放射光施設より桁違いに強く、かつ短い(20×10-15 sec)パルス光を発生することができる。そのため、照射されたタンパク質結晶は完全に破壊され、 X 線回析を示さなくなるが、光が強いため破壊される前に X 線回析を明瞭に示す。したがって、フェムト秒(10-15 sec)レベルの短時間での X 線回析実験が可能になる。さらに強い X 線の照射の結果、結晶の破壊が高速であるため、部分的に X 線照射の影響を受けたような X 線回析はほとんど無視できる。そのため第 3 世代放射光施設を利用した X 線回析実験のような X 線損傷を無視することができる。しかし、SACLA による X 線回析実験では振動写真の測定が不可能であるため静止写真の測定結果だけから構造解析を行う必要がある。このためのデータ解析法の開発も完了している。その結果、ウシ心筋チトクロム酸化酵素の休止酸化型の無損傷 X 線構造が 1.9Å 分解能で決定された(図 3) 4) 。休止酸化型酵素の O2 還元中心(heme a3 と CuB と呼ばれる鉄イオンと銅イオンとで構成されており、 heme a3 の鉄イオン(Fea3)に O2 が結合し、水にまで還元される。)には過酸化物イオン(O2 2-)が結合していることが酸化還元滴定により示唆されている 7) 。このことが SPring-8 の X 線構造解析により支持された 3) 。しかし、結合している O22- の O-O 結合距離は 1.7Å と低分子過酸化物化合物の X 線回析実験データと一致しない。この結合距離は SPring-8 の X 線による照射により O22- に対応する電子密度が減少することが認められたので、照射時間依存性を精密に測定し照射時間 0 に外挿した結果得られたものである。この結果はタンパク質中で活性化された状態での結合を示すとも説明は可能ではあるが、 X 線照射の影響が 0 外挿によっても除去できていない可能性もある。図 3 に示された SACLA によるフェムト秒 X 線結晶構造解析実験結果は SPring-8 による構造解析では X 線による損傷効果を完全に除去することは不可能であることを示している 4) 。これにより無損傷時分割高分解能 X 線構造解析が SACLA を利用して実現可能であることが実証された。また、この成果のより重要な意義は 20×10-15 sec の時間分解後の時分割 X 線結晶構造が可能であることを実証したことにある。
この結果、ピコバイオロジー実現のための最大の技術的問題点(水溶液中の赤外分光と時分割 X 線構造解析)はほぼ解決したといえる。今後の飛躍的な発展が期待できる。
上述の通り、次世代生命科学としてのピコバイオロジーの目標の一つは既存の化学の言葉だけでは記述できない現象を化学の語彙を拡張しつつ解明することである。この目標のためには高分解能で非経験的に X 線構造を決定することが不可欠である。中程度( 3Å 分解能前後)の分解能の X 線構造解析が可能な電子密度に対してはタンパク質外の水溶液中での最も安定なアミノ酸の立体構造があてはめられて構造が決定されている。言い換えると、タンパク質外でのアミノ酸の構造によって電子密度(実験結果)が説明されている。したがって、タンパク質内部でのタンパク質外では存在しない微小環境でタンパク質内でしか形成され得ない構造があっても、その異常が検出されるためには、それを感知できる電子密度の精度(分解能)が必要である。したがって、この異常性が検出できない程度の分解能の X 線構造解析結果からは水溶液中(タンパク質外)で常識的に予想できる反応機構しか検出できない可能性が高い。事実最近多数のタンパク質の中程度の X 線結晶構造が多数報告されているが、その結果に基づく反応機構はタンパク質中での反応機構の特色を十分説明できるものにはなっていないことがほとんどである。上述のような構造決定の手順を考慮すれば当然のことである。したがって中程度の X 線構造からは上述のようなタンパク質内でしか起こり得ない反応を駆動する構造を検出することは不可能である。そのため、構造解析の際、アミノ酸の立体構造を既知とする必要のないレベルの高分解能の電子密度が、タンパク質内部でしか起こらない化学反応の構造解明には必要である。つまり、アミノ酸残基の立体構造がタンパク質外の水溶液のそれらと同一であると仮定して決定された X 線構造はタンパク質外のアミノ酸の構造の線型結合に過ぎないため、その構造からはタンパク質内部の構造特異性を検出することは原理的に不可能である。したがってこの分解能の X 線構造解析結果だけではタンパク質機能(アミノ酸の寄せ集めでは実現することのできない機能)を解明するための手がかりを得ることもできない。このためには電子密度の分解能の向上が不可欠である。第 3 世代の放射光施設 XFEL での X 線回析実験や得られた X 線回析データ処理解析技術のハードウェア、ソフトウェア両面からの進歩はまさに日進月歩である。また、タンパク質の発現、精製結晶化技術の進歩もまことに目ざましい。しかし、これらは中程度の分解能の結晶化を目指したものであり、上述のような高分解能解析を可能にするような結晶化条件の探索のためには上述のようなルーチン作業以上に結晶化条件を個々のタンパク質に特化して探索、改良を試みる必要がある。そのため、タンパク質結晶化条件の探索がピコバイオロジー推進を律速していることが多い。
生命の基本単位である細胞の最も顕著な構造的特徴の一つは細胞膜をはじめとしたリン脂質二重層で形成されている膜構造であると言えよう。これらの膜構造は単なる仕切ではなく、多種多様の膜タンパク質が組み込まれて種々の機能が付与されている。それらの膜タンパク質は均一溶媒系での化学反応では実現が不可能に近い特異性と高効率を示す。これは、一般に巨大なタンパク質の内部は外部とは明確に環境が異なっているだけではなく、均一溶媒系では実現が不可能に近い種々の微小環境を機能中心のアミノ酸や補因子に付与しているためであると考えられている。また、水溶性の球状タンパク質でも構造に非対称性が付与されることにより相互作用する基質や他のタンパク質に対する機能性が高められている。さらに膜タンパク質の非対称性は膜に方向性(裏と表、Sidedness(側性)と呼ばれている。)を付与する。この Sidedness は生体エネルギー変換や物質輸送や機能調節等の細胞が生命を維持するために不可欠な機能の実現を可能にしている。実際、巨視的に見た生命現象で、膜タンパク質が全く関与していないものはないと言える。このような Sidedness を活用した膜タンパク質の駆動する化学反応こそ既存の化学の言葉だけでは理解できない機構で駆動されていることが多いと推定できる。また、このような膜タンパク質の構造機能解明は生命現象の理解に本質的に貢献し得るという学術的重要性に加えて、Biomimetic な機能性物質の設計合成や創薬等への応用の可能性が期待できる。このような状況を反映して膜タンパク質の構造機能研究が年々盛んになってきている。
近年の生命科学研究では創薬をはじめとする応用の可能性が注目されることが多い。膜タンパク質も上述のような学術的興味よりは応用の可能性に注目されており、米国では膜タンパク質でなければタンパク質構造機能研究の予算獲得が非常に困難であるとのことである。勿論応用研究の重要性は基礎研究のそれに変わらない。「研究が科学的にいかにすぐれているかとその研究がどれ程応用研究から遠いかとは全く無関係である。」は至言であると言えよう。以前は実生活と無関係な研究こそが真の学問であると信じているとしか考えられないような基礎生物学分野の研究者が珍しくなかった。このような研究者は象牙の塔として厳しく批判されるとともに、「生物学」が巨大な予算を必要とする「生命科学」に変貌した結果、巨大な研究グループの応用研究が我国でも年々目立つようになってきている。そのため、このような研究者は激減している。しかし、上述の「いかに優れた科学であるか?」との問いかけが憚られるようになれば、生命科学の根本が腐ることが危惧される。
幸いにも膜タンパク質研究の基礎応用の両面に対する重要性は広く認識されており、今後の生命科学の中心となると期待できる。上述の通り、膜タンパク質構造機能研究の進展は水溶性タンパク質と同様に X 線結晶構造の分解能により律速される。この分解能を決定する最大の要因は結晶の品質である。この品質は目的の膜タンパク質を生体膜から単離し(可溶化)水溶液中に安定化するために必要な界面活性剤の構造に最も強く依存する。したがって、生命科学の発展は優れた界面活性剤の開発によって駆動されると極言することもできよう。
膜タンパク質のピコバイオロジーも勿論目的とする膜タンパク質の X 線結晶構造の分解能に律速されて進歩してきた。膜タンパク質結晶化のための界面活性剤のスクリーニングキットも開発され、上述の中程度の分解能の構造決定研究への取り組みを開始する精神的バリアーは以前に比べて確実に低くなっている。しかし、膜タンパク質についても、反応機構のピコバイオロジー的理解のためには、分解能向上のため、目的とするタンパク質に特化した条件の確立が必要である。このような視点に基づく結晶化と界面活性剤の取り扱いに関する議論は本連載次号以降に譲る。
タンパク質の反応機構研究はその X 線構造の分解能の向上に律速される。ここではこのようなピコバイオロジー研究の事例研究として、ウシ心筋チトクロム酸化酵素の反応機構研究の歴史を「X 線構造の分解能の向上がどのようにその進歩に貢献してきたか。」との視点から紹介する。
1995 年にウシ心筋チトクロム酸化酵素の X 線構造が 2.8Å 分解能で細菌酵素とほぼ同時に報告された 8, 9) 。この成功をきっかけとして、多数の膜タンパク質の X 線構造解析の本格的な取り組みが開始されたが、それまではウシ心筋チトクロム酸化酵素のように巨大な膜タンパク質の結晶化は不可能ではないかとの予想が大勢を占めていた。そのため、特に 1995 年以前には、結晶化を必要としない多様な構造解析の努力が精力的に推進された。
ウシ心筋チトクロム酸化酵素に含まれるサブユニット数が SDS-PAGE 分析のみによって 13 であると主張されていた 10) 。しかし、最小のサブユニットの分子量は 8000 程度であるし、特徴的な補因子も含まれていないため、精製標品に再現性よく含まれていても、固有の成分であることを示す積極的な証拠は得られていなかった。酸化還元活性を持つ補因子として6 配位低スピン型の heme a と 5 配位高スピン型の heme a3 がそれぞれ heme a3 への電子供与体と O2 結合部位として機能していることが可視分光及びラマン分光学的に証明されていた 11) 。また heme a3 の近傍には銅中心の 1 つである CuB が配置されていることが EPR 測定による高スピン Fe3+ と CuB2+ と間の磁気共役を示す結果から強く示唆されていた。第 2 の銅中心である CuA が複核の Cupredoxin 型構造であることが EPR 測定から主張されていた 12) 。一方細菌チトクロム酸化酵素の部位特異的変異解析に基づいて、水形成のためとポンプされるプロトンとの輸送経路についても議論されていた 11) 。
X 線結晶構造が決定されるまでの、本酵素の機能解析の最も重要な成果は共鳴ラマン分光法による O2 還元機構解析であろう。上述の通り、発色団を持つ補因子のラマンスペクトルは発色団を可視レーザー光により励起することにより、ラマン散乱強度を大きく高めることができるためタンパク質部分に全く影響されることなく高精度の測定が可能である。(但し、この方法では可視吸収を持たない補因子(例えば CuB )のラマン測定は不可能である。)これにより O2 還元反応中間体として Fea32+-O2(A)、 Fea35+= O2-(P)、 Fea34+=O2-(F)、Fea33+-OH-(O)の 4 種が検出された(図 4) 13) 。しかし、上述の通り共鳴ラマン分光法は CuB の構造に関する情報を全く与えないため、 heme a3 の構造変化しか検出されていない。しかし、これにより O2 還元過程に関する重要な知見が得られた。まず A 中間体から P 中間体への変換の際、O-O 結合が切断されていることが証明された。また、 CuB が第 2 の酸化還元中心として Fea3 に近接して配置されているにもかかわらず、 Fea32+-O2 が検出されたことは全く予想外であった。 O2 は、1 電子還元は受けやすいが 2 電子還元は受けにくいという固有の化学的性質を考慮すると CuB の構造が決定されていなかったため、なぜ A 型が安定であるかは全く不明であった。また A → P 変換の時すでに O-O 結合が切断されているためには 14) Fea3 と CuB からの 1 電子当量に加えてさらに 2 電子当量が必要であるが、その由来については X 線構造情報なしには想像すら不可能であった。また F 中間体、O 中間体の Fea3 部分の構造についても可視吸収からは得られない重要な情報が共鳴ラマン分光法により得られている。しかし、1990 年初めに A 中間体の構造が決定されたが、何故これが検出できるほど安定であるかに関する研究には X 線構造の決定を待たなければならなかった 15, 16, 17) 。
. 1995 年ウシ心筋と細菌チトクロム酸化酵素の立体構造が 2.8Å 分解能で決定された 8) 。ウシ心筋酵素の立体構造には SDS-PAGE から予想されていた通りの 13 のサブユニットが検出された(図 5) 18) 。なお、この X 線構造が決定されても生理機能が明らかなサブユニット以外は不純物である可能性は否定できない。しかし、不純物が X 線構造中に検出されるほど特異的にかつ定量的に結合する可能性は非常に低いと言える。
CuA の立体構造も EPR の結果を完全に支持するものであった 8) 。 2 つのヘムの配位構造も分光学的解析結果が示唆する通りであった(図 6) 8, 18) 。また、 CuB の位置も磁気共役を十分予想させる。 2.8Å 分解能の構造はアミノ酸側鎖の配向もヘム A のプロピオン酸基、ヒドロキシファネシル基の立体構造も決定する 8)18) 。勿論この分解能ではこれらの立体構造はタンパク質外で決定された常識的構造から組み立てられている。しかし、他の方法では決定がほぼ不可能であると考えられるような構造(例えばヘムのヒドロキシファネシルエチル側鎖の立体構造)が決定される。そのような構造の一つが、CuA、heme a、 heme a3 とこれらを連結するアミノ酸側鎖の構造(図 6) 18) である。共有結合や水素結合はタンパク質内部の電子伝達経路として機能すると考えられている。生化学的機能解析の結果 CuA から直接 heme a3 へ電子が伝達されることは生理条件下(正常な代謝回転中)では全くないことが知られている。しかし、この構造は CuA から R438 を経由した heme a3 への直接の電子伝達は CuA から heme a への電子伝達とほぼ同じ速度で起こることを示唆している。したがって、この X 線構造は heme a と heme a3 との酸化還元電位を電子伝達に伴って鋭敏に調節することによって heme a3 への直接の電子伝達を防御していることを強く示唆している。
1998 年に酸化型/還元型の構造がそれぞれ 2.3/2.35Å 分解能で決定された 19) 。この分解能の向上により、まず O2 還元中心の還元型の構造で CuB1+ が平面 3 配置構造であることが示された。これは CuB が電子供与能力も配位子受容能力も非常に弱い、極めて安定な構造であることを示している。この結果は CuB が Fea32+ 結合した O2 への第 2 の電子供与体として機能しないことを示している。この構造は A 中間体の安定性に寄与している。さらに CuB に配位している H240 イミダゾール基に Y244 が C-N 共有結合を形成していることが明らかになった(図 7) 19) 。この翻訳後修飾は O2 還元に共役したプロトンポンプ酵素のすべてに保存されていることが明らかになっている。この Y244OH 基が A → P 変換の際の O-O 結合開製のための電子供与体の一つとして機能していることを強く示唆している。
この分解能向上によりさらにプロトンポンプ経路が明らかになった。図 8 に示されているように P-side(ミトコンドリア内膜外側。こちら側にプロトンが蓄積される。)の分子表面近くに位置する D51 が還元型で分子表面に露出することが認められた 19) 。
またこの D51 が N-side(ミトコンドリア内膜内側)へ水素結合のネットワークと水経路で連結されていることが示された。また、この経路は heme a の周辺に配置されていることが示された。これらの X 線構造はこの D51 を含む経路(現在 H-pathway と呼ばれている。)がプロトンポンプ経路であることを強く示唆している(図 9) 19) 。また酸化型(休止酸化型)には O22-(過酸化物)が CuB と Fea3 との間に架橋していることが示された(図 7) 19) 。
なお、これまでの X 線回析実験はフォトンファクトリーで 8 ℃で行われた。
フォトンファクトリーより強い X 線光源を持つ第 3 世代の放射光(SPring-8)を利用することにより分解能をさらに向上させることに成功した(2004) 20) 。この分解能の向上により図 10 に示されるように H-pathway の構造が格段に明瞭になった。図 10A に示されている D51 の酸化還元共役立体構造変化には図 10B に示されるような水分子の構造変化が伴っている。
さらにペプチド結合が水素結合のネットワークに組み込まれている 20) 。プロトンは、もし強力な供与体と受容体があればペプチド結合を経由して輸送されること、またその輸送にはペプチド結合の keto-form(-CO-NH-)の enoll-form(-C(OH)=N-)に対する安定性のため方向性があることが知られている。したがって、このペプチド結合は P-side からのプロトン逆流を防ぐ機能を持つと考えられる。図 11A の模式が示すように H-pathway は上半分が水素結合のネットワーク、下半分が N-side の水が浸入することのできる経路(水経路)から構成されている。水経路には少なくとも 1 個以上の水分子が存在することのできる空間(キャビティー)があり、これが水の移動を促進している(図 11A) 21) 。図 11B(水素結合ネットワークの側面図)に示されるように heme a が水素結合のネットワークに 2 つの水素結合を形成している。 heme a から、O2 還元中心への電子伝達の結果生じた正荷電がヘム周辺へ非局在化する。その影響がこの 2 つの水素結合を通じて、水素結合のネットワーク上にあるプロトンと静電的相互作用(静電的反発)を誘起し、プロトン能動輸送を駆動することをこの X 線構造ははっきりと示している。
しかし、静電的反発に駆動されるのならば能動輸送の方向性を持つことは本来不可能である。このプロトンの逆流防止機構が X 線構造の分解能の向上により明らかになった。図 12(A: 水経路の酸化還元共役 X 線構造変化。 B: 水経路構造変化の模式図)に示す通り、水経路の最大のキャビティーが、本酵素が酸化されることにより消失することがこの分解能で明らかになった 21) 。このキャビティーの消失により水の交換速度は大幅に低下し、生理的時間範囲ではキャビティーは閉鎖されると考えられる。したがって、この開閉によりプロトン逆流を防止していると考えられる。
上述の通り共鳴ラマン分光学的解析により、O2 還元反応の第 1 中間体(A 中間体)は O2 結合型であるが、第 2 中間体(P 中間体)では O-O 結合が開裂していることが明らかになっている。したがって、正常な O2 還元反応過程では O2 が水にまで還元される(O-O 結合が開裂する)までの間の過程に生じる中間体は生成よりも消失の方が速いため検出は不可能である。そこで、種々の呼吸阻害剤(O2 の基質類似体)結合型酵素の X 線構造解析により、O2 還元中心の機能を探索することにより O2 還元機構の理解を深める努力が続けられている。
NO 結合型の X 線構造が 1.8Å 分解能で決定された( NO は O2 の最も優れた類似体である。)。図 13 のように CuB は完全還元型の時と同様平面 3 配位構造であり配位子との距離は 2.5Å であり CuB の安定性を考慮すれば配位子への電子伝達は O2 が結合していても非常に遅いことを示唆している 21) 。さらに Y244OH からの電子伝達も図 13 に示されているように H240 のイミダゾール基により配位子への相互作用がほぼ完全に妨害されているため配位子への電子伝達は非常に遅いことを示している。同様の結果が CO 結合型についても認められる 21) 。これらの X 線構造解析結果は O2 還元部位が配位子(O2)への 2 電子還元を防ぐ構造になっていることを示している。次に CN- 結合型は O2 結合型の共鳴構造の一つである(Fe3+-O2-)の類似体と考えられる。この X 線構造が 2.05Å 分解能で決定された(図 14A) 21) 。CN- 結合により CuB の配位構造が大きく変化し、結合している CN- に対して 3 本の電子伝達経路が形成された(図 14C) 21) 。 Fea32+ からは 2 電子の供与が可能であるのでこの構造は 4 電子の同時供与を強く示唆している(図 14D)。言いかえると O2 還元中心は O2- が結合した時さらに 2 本の電子伝達経路を形成し、4 電子還元により O2 を水にまで還元することを強く示唆している。 O2 に 1 電子ずつ逐次供与すると種々の活性酵素種が形成される。しかし、本酵素はここに強く示唆されているように 4 電子還元により活性酵素種を形成せずに O2 を水にまで還元する。
CO や NO 結合により還元型で認められる水経路最大のキャビティーが完全酸化型の時と同様に閉鎖されることが明らかになった。また、P、F、O 中間体でも同様に閉鎖されることがそれらの X 線構造は示していた。したがって、水経路は O2 還元中心が還元型で配位子が結合していない時だけ開いており、N-side からのプロトン(ヒドロニウムイオン)の取り組みを可能にする 21) 。 O2 還元のための電子はチトクロム c から 1 電子ずつ CuB、 heme a を経由して O2 還元中心に伝達される。詳細な電位解析により、チトクロム c からの 1 電子当量の伝達(1 代謝回転あたり合計 4 電子当量)に共役して 1 当量のプロトンがポンプされることが知られている。本酵素の代謝回転は図 15 のように要約することができる。 O2 が結合してから完全還元型(図中の R 中間体)が再生されるまでキャビティーは閉鎖されたままである。したがって、R 中間体が生じてから O2 が結合するまでに 4 当量のプロトンが水素結合ネットワークに取り込まれなければならない。しかし、1.8Å 分解能の構造では 4 当量のプロトン受容が可能であるかどうかは明確ではない。プロトン受容部位の探索のため、現在さらに高分解能の X 線構造を決定するための努力が続けられている。
ウシ心筋チトクロム酸化酵素は 1941 年に薬師寺、奥貫によって単離され 22) 、1961 年に米谷によって微結晶化された 23) 。それからさらに 33 年後に X 線回析実験が可能な結晶が得られ、上述の通り 1995 年に 2.8Å 分解能の X 線構造が決定された 8) 。さらに 15 年後に 1.8Å 分解能に到達した 21) 。しかし、まだ既存の化学の言葉だけでは説明できない現象には出会っていない。しかし、分解能の向上に伴って新世界が開けるように感じられるほど、既存の化学の言葉で記述はできるが、予想外の発見の連続であった。他の膜タンパク質についても分解能の向上は同様の驚きをもたらすに違いないと思われる。しかし、中程度の分解能に到達すればともかくアミノ酸側鎖が見えるようになる。そこから分解能を高めるのは 2.8Å 分解能に到達するより通常はるかに困難になる。それでも高分解能に挑戦する価値があることは、例えば分解能 2.3Å から 1.8Å への向上によりプロトンポンプ経路の挿入図が図 9 から図 11A へと書きかえられたことからも明らかである。このような膜タンパク質 X 線構造の分解能向上の具体的戦略を次回以降議論する。
著者プロフィール | |
氏名 | 吉川 信也(Yoshikawa Shinya) |
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所属 | 兵庫県立大学大学院生命理学研究科 |
連絡先 | 〒678-1297 兵庫県赤穂郡上郡町光都 3-2-1 TEL : 0791-58-0345 |
yoshi@sci.u-hyogo.ac.jp | |
出身大学 | 大阪大学大学院理学研究科博士後期課程生物化学専攻 |
学位 | 理学博士 |
現在の研究テーマ | ミトコンドリア呼吸のピコバイオロジー |
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